鳳凰寺跡

鳳凰寺跡
テーマ壬申の乱と古代の伊賀
見どころ・解説 鳳凰寺跡は現在の薬師寺を中心に所在したと考えられ、薬師寺本堂・庫裏を昭和38年(1963)に改築した際、多数の礎石が確認されました。礎石は自然石の上端を加工して直径50~80cm、高さ5cm程度の円柱座を彫り出したもので、一部は現本堂下に検出時のまま置かれ、一部は境内の一角にまとめられています。出土遺物は、軒瓦や鴟尾片があり、軒瓦は創建時とされる飛鳥時代の素弁八葉蓮華文軒丸瓦や重弧文軒平瓦のほか、奈良県山添村岩屋瓦窯で製作された奈良時代の均整唐草文軒平瓦も出土しています。
 鳳凰寺跡は、「日本書紀」に登場する大友皇子の生母 伊賀采女宅子娘が、壬申の乱で敗れた大友皇子の偲び創建されたと考えられています。伊賀采女宅子娘が仕えた天智天皇は、日本最古の和歌集『万葉集』に長歌一首、短歌三首を、大友皇子は、日本最古の漢詩集『懐風藻』に採られる2編の詩を残しており、文才に恵まれた人物として知られています。
所在地
(クリックすると地図表示)
鳳凰寺跡 所在地
大山田エリア 鳳凰寺跡
現況写真・図面
(クリックすると拡大表示)
関連資料
(クリックすると拡大表示)
鳳凰寺跡