伊予之丸古墳

伊予之丸古墳
テーマ古代の首長と古墳文化
見どころ・解説 江戸時代初め、筒井氏に代わり伊賀国に入封した藤堂高虎により阿閉山に位置する上野城とその南の城下が整備されましたが、程なく上野城北東に家臣池田伊予守の手により副郭とされる「伊予之丸」が造営されました。上野城が立地する上野台地の北辺には、多くの古墳が築造されていたことは、発掘調査により明らかにされていますが、伊予之丸に築造された本墳もその一例です。
 昭和初めになり、伊予之丸には上野商業学校が設置され、その周辺が開墾された際に四禽鏡や埴輪片が出土しました。その後、昭和35年(1960)から翌年にかけて、当時桃青中学校の教員であった森川桜男氏が中心になって桃青中学校の校舎西側で発掘調査が行われ、L字状に並ぶ円筒埴輪列が検出されました。円筒埴輪は、2条凸帯のものと3条凸帯のものが交互に配置され、埴輪列の所々に朝顔形埴輪や蓋(きぬがさ)形の埴輪の立飾りを模したものが設置されていました。また、円筒埴輪の上部には鹿や↑をヘラ描きしたものも多く見られます。埴輪列の内側で直刀、剣や先に触れた四禽鏡が出土していて、この部分埋葬施設があったとされます。
所在地
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伊予之丸古墳 所在地
上野エリア 伊予之丸古墳
現況写真・図面
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