天守台

天守台
テーマ上野城と城下町
見どころ・解説 慶長16年(1611)、西国における公儀普請が一段落した藤堂高虎は、自領にある上野城の改修に着手します。本丸は、筒井時代の二之丸部分までを取り込み、さらに西側へと拡張して高石垣を築きました。そして、拡張部分に新たな5層の天守建設を計画しました。
 この天守建設にあたり、高虎は以前の所領であった伊予国の今治城を解体することで、天守台の石材から天守の部材までを確保していました。しかし、これらの資材は急遽、丹波国亀山城の公儀普請に使われることとなり、計画は変更を余儀なくされます。翌年、何とか資材を調達して5層目の屋根瓦を葺くところまで完成した天守でしたが、今度は大風雨によって3層目から倒壊してしまいます。
 その後、泰平の世が訪れると、戦時の司令塔である天守が築かれることはなく、城下町絵
 図には「天守台」だけが描かれ続けます。現在、この場所には昭和10年(1935)に竣工した伊賀文化産業城(復興天守)が建っています。
所在地
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天守台 所在地
上野エリア 天守台
現況写真・図面
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関連資料
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上野城跡伊賀文化産業城