テーマ | 上野城と城下町 |
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見どころ・解説 | 藤堂高虎は上野城下町を築くにあたり、上野城北側にあった従来までの大手を搦手に改め、東西に南向きの2つの大手を設けました。 大手門は東西ともに同規模の枡形門で、正面に3間(幅)×21間(長さ)の渡櫓、両袖にも3間(幅)×7間(長さ)の多聞櫓を備えた立派なものでした。なお、西大手門は左側に門扉があり、東大手門は右側に門扉がありました。 江戸時代が終焉を迎え明治期になると、西大手門は米穀取引所の倉庫として使用されていましたが、明治40年(1907)には解体されました。昭和63年(1988)、門跡に上野市教育委員会・伊賀文化産業協会によって石碑が建立されています。 |
所在地 (クリックすると地図表示) | 上野エリア 西大手門跡 |
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