テーマ | 伊賀の寺社建築 |
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見どころ・解説 | 猪田神社は、木津川により形成された沖積地を東に望む丘陵にあります。本殿は東を正面に建てられ、背後には昭和47年(1972)に瓦製経筒などが出土した13基の経塚が見つかっている猪田経塚があります。 本殿の構造は、一間社流造、屋根は檜皮葺きで、向拝と浜縁が付き、身舎の柱間は、桁行8尺5寸3分、梁間7尺6寸1分です。正面は板唐戸、側面と背面は横板壁で、背面を除く三方に縁が廻り、背面の柱筋に揃えて脇障子があります。屋根は二重軒付の檜皮葺きで垂木は二軒繁垂木です。柱上の組物は、斗と肘木を重ねた出三斗、桁行方向のみ連三斗、正面の蟇股は牡丹を浮彫にしたもの、両側の妻は巻斗を載せず、虹梁の荷重を受けない装飾的な蟇股で、猪田の猪田神社とともに類例のないものです。画題は、右側面が猿と山桃、左側面が栗鼠と葡萄です。彩色は、柱や縁、軒裏の垂木などは丹塗、両側の壁板には桜・松・人物が描かれ、脇障子には随神図を描いています。柱上部から頭貫、長押、斗組には極彩色が施されています。 本殿は、天正期の織田軍の侵攻により焼失しましたが、天正15年(1587)に仮遷宮され、慶長9年(1604)に猪田山出の小天狗清蔵が願主となって再建されたことが棟札からわかります。なお、現在の本殿は、天保7年(1836)に慶長期の意匠を基本に一部部材も使用しながら修理を行い、現在に至っています。 |
所在地 (クリックすると地図表示) | 上野エリア 猪田神社(下郡) |
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猪田神社本殿附棟札