1.調査風景
2.10号甕棺
3.10号甕棺 棺内
4.10号甕棺 副葬品
5.34号甕棺
6.34号甕棺 埋葬状況
飯塚市立岩に所在する。飯塚市の北部、嘉麻川と穂波川の合流点に近い遠賀川右岸には、南北に延びる標高100m内外の丘陵がいくつも連なっている。この丘陵群のひとつである立岩丘陵の標高37mの位置に堀田遺跡は立地する。
採土工事中に発見され、昭和38年から昭和40年まで3次にわたる発掘調査が実施された。遺構として甕棺墓40基、土壙墓1基、貯蔵穴26基が検出された。甕棺墓は弥生時代中期中頃~後期前半頃のものである。8基の甕棺墓と土壙墓から副葬品が出土している。貯蔵穴は弥生時代前期後半~中期前半頃のものである。
10号甕棺墓は、石蓋単棺を埋置した成人用甕棺墓である。石蓋には長さ118cm、幅80cm、最大厚16cmを測る板状の花崗岩を使用している。甕棺は口径68.4cm、胴部最大径86.5cm、器高117cmを測り、重量は75kgである。甕棺内面全体に丹が塗られていた。棺内から副葬品として前漢鏡6面、銅矛1本、鉄剣1本、鉇1本、砥石2個が出土した。甕棺墓は弥生時代中期後半頃のもので、そのころの北部九州地方では春日市須玖岡本遺跡D地点甕棺墓、糸島市三雲南小路遺跡甕棺墓に次ぐ有力首長墓である。
28号甕棺墓は、石蓋単棺を埋置した成人用甕棺墓である。甕棺内面全体に丹が塗られていた。棺内から副葬品として管玉553個、ガラス製丸玉1個、ガラス製棗玉1個、塞杆状ガラス器5個、前漢鏡1面、素環頭刀子1本が出土した。玉類は原形を推定復原できる状態で検出され、管玉・ガラス製丸玉・ガラス製棗玉については額の両側に垂飾りが付いた頭飾りとして、塞杆状ガラス器については髪にさした笄として復原されている。
34号甕棺墓は、石蓋単棺を埋置した成人用甕棺墓である。棺内から良好な状態で成年男性人骨が遺存しており、その右前腕には着装されたままの状態で貝輪14個が残っていた。副葬品としては、前漢鏡1面、鉄戈1本が出土した。
甕棺墓からの出土品は、日本の弥生文化を研究する上で貴重な資料としてその価値が認められ、昭和52年に国の重要文化財となっている。堀田遺跡については、昭和62年に飯塚市指定史跡になっている。
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