1.遠景
2.石室奥壁 装飾
3.象嵌円頭柄頭(下段:X線CTスキャナによる3次元画像)
飯塚市西徳前に所在し、標高約40mの丘陵上に立地する。南側眼下には穂波川による肥沃な沖積平野が広がっている。江戸時代後期の地誌の記載や天井石前面に文字が彫られていることから古くからその存在が知られ、石室は開口し信仰の対象となっていたことが知れる。平成21・22・24年度に飯塚市教育委員会が発掘調査を実施した。
墳丘については、円墳で径約22mと推定している。非常に丁寧な版築盛土によって墳丘を築き、盛土の工程を確認することができた。
埋葬主体部は玄門及び羨道部の石材が抜かれているが、単室の横穴式石室と推定される。玄室は長さ2.4~2.6m、幅は2.1~2.4mでやや縦長の平面を呈している。奥壁、左右側壁の腰石はともに1枚石である。玄室床面にはやや大きな平石を前面に敷き、奥壁側には仕切り石により屍床を設けている。奥壁の腰石に敲打技法による装飾文様が確認された。文様は円文が主体で不明瞭なものを合わせると17ヶ所あり、その他に舟形とされるものが2ヶ所ある。
出土遺物は玄室床面付近からガラス玉、耳環、銀製空玉、金銅製馬具、鉄鏃、銀象嵌円頭大刀柄頭、須恵器片などが出土している。金銅製馬具や銀象嵌円頭大刀柄頭などは、この古墳の被葬者像などを考える上でも大変貴重な資料である。
築造時期は石室の構造と出土遺物から6世紀末~7世紀初頭頃と推定される。山王山古墳は径20mの円墳であるが、墳丘構築技法の精緻さ、副葬品の質の高さ、敲打技法による装飾古墳であることから、遠賀川上類域の有力古墳であり、穂波川北部西岸に展開する穂波古墳群の中では最後の首長墳と考えられる。
平成27年に福岡県指定史跡となった。
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