飯塚市中に所在し、遠賀川の西方2.7km、白旗山の北麓に立地する江戸時代初期の高取焼の窯跡です。高取焼は江戸時代初期から黒田藩の御用窯として茶陶を中心に個性的な陶器を焼いたことで知られ、とくにその茶入れの瀟洒な造形性に多くの茶人に好まれた。高取焼は渡来陶工八山を起源としており、白旗山窯はこの八山父子により寛永7年に開窯された。この開窯の頃に、八山父子は京都の伏見奉行であった小堀遠州のもとへ派遣され、その指導を受けたとされている。そのため白旗山窯時代の高取焼は「綺麗寂び」という瀟洒な茶陶が生産されたといわれている。
昭和62・63年度、平成2年度、飯塚市教育委員会により3基の窯跡が発掘調査された。1号窯跡では1~7室までの焼成室が検出されたが、8室以下は開発工事で消滅していた。窯は半地下式階段状連房の登窯で、全長25m程度、傾斜角度は約19度で、焼成室10室程度の中規模の窯であったと推測される。出土遺物は約7割が匣鉢を中心とした窯道具類、約2割が擂鉢主体とした雑器、約1割が茶陶器であった。
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