293 小正西古墳

1.調査状況

1.調査状況

2.埴輪列検出状況

2.埴輪列検出状況

3.巫女形埴輪

3.巫女形埴輪


 飯塚市小正に所在し、龍王山から派生する標高約35mの丘陵上に立地する古墳時代中期末~後期前半の古墳である。平成8・9年度において宅地造成工事に伴い旧穂波町教育委員会が発掘調査を実施した。
 墳丘は径約28.5m、高さ6mと復原され、周溝を含めると径31.5mを測る比較的大型の2段築成の円墳である。墳丘下位約1.5mは地山整形で、上位約4mは黒色土と赤色粘質土による版築盛土により墳丘を構築している。葺石は墳頂まであったと考えられるが、周溝に転落した葺石の量から考えると墳丘下段には葺石は施されていないと推定される。周溝は最大幅1.9m、深さ0.5mを測り、1号石室前には陸橋が確認されている。周溝内から多量の埴輪片が出土した。東側では人物、馬形などの形象埴輪片のみが多量に堆積している部分があり、本来墳丘に立てられたものが人為的に1ヶ所に集められ廃棄されたと考えられる。その中で巫女形とみられる人物埴輪が、ほぼ完形に近い状態で復原できた。
 埋葬主体部は横穴式石室で、主体となる1号石室の主軸に直交して2号石室が同時に築造されている。1号石室は羽子板状の平面形で、長さ4.55m、幅2.1~2.9m、高さ2.3mである。奥壁に沿って板石で区画した屍床を設けている。数回の盗掘を受けており、石室右側が半壊状態で天井石も落ち込んだ状態で検出された。出土遺物は鉄剣、鉄刀、鉄矛、鉄鏃、刀子、鉄鉇、木芯鉄板張輪鐙、f字形鏡板付轡等などの馬具、玉類がある。鉄矛は半島系のものとみられ、木芯鉄板張輪鐙は新羅・伽耶地域に類例が知られる。2号石室は羽子板状の平面形で、長さ2.6m、幅0.7~1.3m、高さ1.0~1.4mである。未盗掘で3~4回の追葬が確認できる。石室内からは須恵器、珠文鏡、鉄刀、鉄鏃、鉄鋸、刀子、鉄鑿、鉄鉇、鉄斧、鑷子状鉄製品、イモガイ製貝輪、銀環、玉類、人骨3~4体分が出土している。
 築造時期は石室の形態や出土遺物などから5世紀末~6世紀初頭と考えられる。
 平成11年に福岡県指定史跡となり、現在は小正西古墳公園として整備されている。
→ 遺跡の位置を見る