1.調査状況
2.3号甕棺
3.3号甕棺出土 石剣嵌入人骨
4.子持ち壺
飯塚市椿に所在する。龍王山から東側に派生した彼岸原台地と呼ばれる標高約50mの丘陵頂部に立地する。昭和50年度において、開発工事に伴い旧穂波町教育委員会が発掘調査を実施した。
調査の結果、竪穴住居跡1棟、貯蔵穴3基、土壙墓・木棺墓55基、甕棺墓15基などが確認された。まず、弥生時代前期の集落として住居や貯蔵穴が築かれ、中期初頭頃から中期中頃にかけて墓地として土壙墓、木棺墓、甕棺墓が営まれたことが分かっている。
甕棺墓は、成人用甕棺墓2基、小児用甕棺墓13基が検出された。成人棺である3号甕棺墓内より石剣(戈)が刺さった状態の熟年男性人骨が出土した。また、もう1つの成人棺である1号甕棺墓内からはゴホウラ製貝輪が4個出土している。いずれも時期は弥生時代中期中頃のものである。
さらに、土坑からは子持ち壺と呼ばれる非常に特異な器形を呈した弥生土器が出土している。この子持ち壺は、鋤先口縁を有する広口壺の肩部に子壺を5個のせたものである。親壺の口径24.5cm、高さ推定40cm、子壺の口径8~9cmを測る。器面は全体的にヘラで磨かれ、一部に丹塗りの痕跡もみられる。出土位置から木棺墓の被葬者のための葬送儀礼に使用された特殊な土器と考えられる。
この子持ち壺と1号甕棺から出土した貝輪については、平成26年に飯塚市指定有形文化財になっている。
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