調査状況
飯塚市太郎丸に所在し、穂波川と内住川に挟まれた南から北へと延びる標高90m程の丘陵に立地し、この丘陵の東西両側の斜面を利用して築造された古墳時代後期の横穴墓群である。昭和60・61年度に太郎丸遺跡群調査会が実施した開発工事に伴う調査で42基の横穴墓が確認された。
調査された横穴墓の玄室床面は正方形を呈するものが多く、横断面形はアーチ形、寄棟形などがみられるが、天井部の崩落等により形状が変化したものもあると考えられる。構造上の特徴として、羨門前部に石を組み、横穴式石室と変わらない姿を呈するものが全体の40%を占める。この構造の横穴墓が東側斜面一帯の中央部にまとまって発見され、出土遺物も大量に検出され、主体部の規模からも群の中心的集団の墓と想定される。出土遺物は土師器、須恵器、馬具、武具、玉類があり、とくに鉄地金銅張心葉形杏葉、雲珠などは優品である。横穴墓の構造、出土遺物から6世紀後半から7世紀後半に営まれたと考えられる。
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