1.現況(直上から)
2.礎石建物跡
飯塚市内野に所在する。内野宿の中央で長崎街道と直交して西側に延びる道を上った正面に位置している。内野宿御茶屋については明治期に廃止されると、その建物を解体され、現在ではその敷地のほとんどが田畑になっている。
福岡藩の御茶屋については、藩主の国廻り等の際に休泊所として主に利用されたほかに長崎奉行や参勤交代の大名も利用していた藩が管理していた施設である。内野宿御茶屋については、『内野御茶屋絵図』が残っており、この絵図には御茶屋の外構と建物全体が極めて詳細に描かれており、部屋名、床仕上、天井仕上、壁仕上、建具等の仕様までもが記されている。
平成21年度より飯塚市教育委員会により発掘調査が実施されている。調査の結果、御茶屋の敷地範囲は南北65m、東西60 mと推定され、「絵図」に記されている池跡、道具蔵跡、番所跡、また主屋に伴う礎石群も確認された。
出土した陶磁器類から御茶屋の成立時期は17世紀前半と推定された。また、出土した瓦には「飯塚駅瓦師」の箆描き文字を有するものもあり、瓦の供給地を知ることも出来た。さらに、福岡藩主黒田家の定紋である藤巴文を有する軒丸瓦も出土し、黒田家との関連を示す資料ともなった。
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