1.遠景
2.集石遺構
飯塚市内野に所在し、穂波川の支流である北川により形成された扇状台地上の標高70~76mを中心に立地した縄文時代、弥生時代、中世の複合遺跡である。
平成12・13年度、農業基盤整備事業に伴い旧筑穂町教育委員会により発掘調査が実施された。調査により、主に縄文時代早期と推定される集石遺構6基、弥生時代前期末頃の竪穴住居跡1棟、中世の土壙墓1基が確認された。
この遺跡を特徴づけるのは、縄文時代の包含層から出土した多量の土器と石器である。縄文土器ついては、早期の押型文土器や塞ノ神式土器、前期の轟式土器や曽畑式土器、後期後半~晩期中頃の土器片も出土しており、各時期に生活の場として営まれていたことが分かる。石器類では、打製石鏃122点、スクレイパー20点、石匙7点、磨製石斧4点、磨石・敲石28点が出土している。
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