概要 | 明治4、5年頃、麻生太吉により石炭が採掘されていた。明治13年、杉山徳三郎が目尾坑区を取得し、12月に竪坑掘削にかかり、スペシャルポンプの試運転を経て、翌14年4月に蒸気機関によるポンプ揚水に成功して筑豊炭田の近代化の扉を開いた。明治 29 年(1896)には、古河財閥の創始者である古河市兵衛が目尾炭坑を買収し経営にあたった。古河の炭坑の中でも最も出炭量が 多く、大正6年(1917)には 50 万㌧にも達した。しかし、昭和に入る頃には残炭整理を主とせざるを得なくなり、昭和4年(1929)6月には採掘を中止し、その役割を終えた。 平成30年(2018)10月、筑豊初の蒸気機関によるポンプ揚水の成功が評価され、筑豊炭田遺跡群(目尾炭坑跡)として国の史跡に指定された。写真は発掘調査成果(発掘現場は埋め戻しのため、令和4年3月現在雑木林となっている)。 |
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