概要 | 明治27年(1894)、麻生太吉から住友が譲り受けて石炭の採掘を開始した。これが住友の事業として筑豊の石炭業界に進出した最初の炭鉱であった。 忠隈のボタ山の誕生は昭和6年頃とされる。飯塚駅近くの選炭場で仕分けられたボタは、ボタ車に載せ、ボタ山用巻上げ機のロープを引いて台地上に上げ、遠隔操作でボタ車の底を開いてボタを落とす仕掛けとなっていた。この装置が始動するとともに、ボタ山がピラミッド形に成長しはじめたとされる。 当時、ボタ山の稜線には電灯が灯り、暗い闇夜に浮き上がったという。また、残存する石炭が自然発火し、山肌から白い煙が立ち上ったり、鉱泉が湧き出したりもしていた。 令和4年3月現在も忠隈のボタ山(別名:筑豊富士)は、飯塚市のシンボルとして街を見守っている。 |
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