概要 | 明治19年(1886)、安川敬一郎は勢田村大谷の約三万坪の借区権を買収したが、近代的な炭坑を起業するには狭隘(きょうあい)であった。明治28年(1895)岩井伴七より勢田村木浦岐坑を買収した。 安川は明治20年(1887)12月より大城竪坑の開削に着手。明治21年(1888)12月からは斜坑の開削にあたり、翌22年5月に着炭した。これが後の明治第一坑である。 明治27年(1894)にはじまった日清戦争とその後の工業用石炭の需要増大、鉄道新設、海運業の興隆などの機運に乗じて、安川は大阪の資本家と提携し、明治29年に明治炭坑株式会社を創立、本社を大阪におき、頴田村勢田に大城支店を設けた。 明治29年(1896)9月に明治第二坑(木浦岐坑)の開削に着手し、翌30年3月に着炭した。 明治34年には、本店を頴田村へと移した。なお、明治32年に東京大学鉱山学科を卒業して明治炭鉱に赴任した石渡信太郎が、従来の残柱式採炭法に代わって採用した長壁式採炭法は、採炭法の近代化の端緒となった。 |
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