同年庚辰年八月十五日 今治城主松平美作守定房公、讃州高松城在番
慶安二丑年四月七日 日吉村ヲ割テ馬越村ヲ置カル (同村旧記ニアリ)
同二丑十一月廿六日 両神宮大明神旧社領之届 (控書神宮秘蔵)
寛文四年十二月廿二日 戸塚助太夫使者トシ、土佐ヘ発向、不知其故、
同年乙巳六月十八日 今治城主壱万石加封 (此ノ年日誌奥ニアリ)
寛文十三年癸丑延宝ト改元 九月廿八日 琉球国中山王ト定房公往復書翰
四月十一日 大水、寺町前ノ川筋、海岸土手欠壊シ、又浅川堤防モ欠壊シ、
同年同月六日(八日ノアヤマリ) 起請文始マル (御用所日誌ニヨル)
延宝五丁巳正月 定陳公(岩松公事)幼年ニ付、家中仕置ノ事ヲ定メラル
延宝九辛酉 天和ト改元、今治藩、徒組三組ヲ減シ、十七組トナル、
貞享四卯二月 検地平均証文ノ事 (本書村々異ナル、一例ヲ示す)
元禄元戊辰十二月廿五日達 年貢米俵入及村々月改荘屋事 (御用処日記)
元禄十年五月廿六日 関東代地トシテ当国宇摩郡ニテ高五千石ヲ賜
元禄十六癸未年二月四日 赤穂義士切腹 (四ケ所御預四十六人不残)