今治市長 岡 島 一 夫
わが今治は、原始時代の昔より小千国(オチノクニ)、怒麻国(ヌマノクニ)の二国が形成され、ことに小千国の小致(越智)氏の活躍は、目覚ましいものがありました。そのことが地理的条件と相まって、古代には国府や国分寺が今治に置かれ、伊予の国の政治、経済、文化の中心となる素因になったと考えられます。以来この地は今治城主藤堂高虎公が伊勢に転封されるまで、伊予における中心的存在となってまいりました。
藤堂高虎公の後をついた松平定房公は、三万石で今治に入城し、それ以後、江戸時代を通じ松山藩と共に幕府の譜代藩として、伊予の国の主要な地位を確保してきました。
明治維新を迎え近代社会となりますと、わが今治人は、わが郷土の秀れた歴史的条件、地理的条件、社会的条件を生かし、近代産業への対応にその創造性を発揮し、綿業都市、港湾都市今治を築きあげ“四国の大阪”あるいは“東洋のマンチェスター”とまでいわれる躍進を遂げ、人口も飛躍的に増加し、大正九年(一九二〇年)には市制を施行し、県下第二の近代商工業都市の地位を獲得したのであります。
その後、海上交通の要衝として愛媛県の海の玄関としての役割を果たすため、港が着々と整備され、休むことなく発展の基礎がためをしてきました。
今や今治は中国本土と架橋によって結ばれようとしており、待ち望んでいた来島大橋の工事着工も決定し、西四国の陸の玄関としての展望も大きくひらけつゝあります。そうなれば、今治は海の玄関としての役割と、陸の玄関としての役割を果たすべき重要な使命を担うこととなります。この大きな課題に取組む足がためとして、私達は先祖の歩んだ足どりとその証をさぐり、温故知新、未来に向かって生きる指標を見出す努力が必要であります。そのためにも、郷土の歴史の集大成が望まれるところでありましょう。
ときあたかも、わが今治市は平成二年(一九九〇年)には市制七〇周年を迎えます。その記念事業の一環として郷土史編さんを企画したものであります。以来議会を始め関係各位のご理解とご努力により、先に第一巻『考古』・第三巻『今治拾遺』・第五巻『波止浜町方覚日記・大浜村柳原家文書』・第八巻『今治地誌集』を発刊いたしましたが、本年度は左記四冊を刊行する運びとなったことは、この上ない喜びであります。
第二巻『村上家・来島家文書、大山祇神社・国分寺文書、能寂寺・仙遊寺文書』資料編 古代・中世
第四巻『国府叢書』資料編 近世2
第七巻『今治の文学』資料編 近・現代2
第一〇巻『写真が語る今治』写真集 近・現代5
各位におかれましては、この先輩たちの遺産である資料を大いに活用せられ、明日の今治づくりの糧にされんことを期待し、発刊のごあいさつといたします。
平成元年三月