「国府叢書」全六十五巻は、今治市国分の加藤セツ氏の所蔵する当地方屈指の郷土史資料集である。その編集は、旧桜井村の村長加藤徹太郎氏の父で、最後の国分村庄屋であった友太郎氏によるものである。史料の整理は明治二十年前後から始められて、十数年の長年月を要したようで、こうした大量のまとまった史料集は、全国的にも類例の少ない労作であるといえよう。本叢書は箱に納められて、多年同家で大切に保管されて来たものであるが、今回の郷土史資料集刊行の意図を理解されて、セツ氏より心よく公刊に同意をいただいたものである。
この史資料集は、多くの点で驚嘆に価する地方史の第一等史料であるが、その幾つかの点をあげれば、
一その分量の尨大さである。史料は和紙に毛筆の細字でぎっしりと書かれている。今回刊行分はその三分の一に当る二十三巻分である(枚数では約半分)が、全分量を四〇〇字詰の原稿用紙にすれば実に一万三〇〇〇枚となり、氏がいかに精根をこめて取り組まれたかが理解されよう。
一次は編集の姿勢の正しさである。資料は庄屋であった同家所蔵の文書を中核として編集されているが、市の内外に広く旧家旧友を尋ねられて、基本史料を収集し、全く精密に、忠実に筆写し、史料を後世に遺すことを意図されたもので、私見は全く加えていない。史料には全て出典や所蔵者を明記し、自らの意見や見聞の記述には、はっきりとその点を断わっており、史家として全く公正で、秀れた識見と史観の上に立っていることが理解される。事実借用史料の殆んどは、戦災等で今日では伝承されておらず、貴重な史料を我々に残していただいた氏の先見の明と努力には、頭の下がる思いである。
一庄屋として、藩の指示によって村政を実際に担当した者の立場から、藩政の実態や村の生活を忠実に、冷静にとらえて解説を加えたもので、年中行事等については詳細な図を示している。検地や年貢、雇用制度、宗門改め、刑罰など近世独自の制度や方法、また今日では理解出来にくい用語なども解説しており、現代人にとっては何よりの地方凡例録である。いわば、今治藩政の百科事典とでもいえようか。友太郎氏自身も書いているように、明治維新も三〇年を過ぎると、激しい近代化の中で、次第に人々の頭から近世の生活の様子が忘れられるようになり、このままでは過去の事が誰れにも解らなくなるという思いが、筆を走らせたのかもしれない。丁度現在三〇才の人が、三〇年前の当時の生活が全く理解されないように、通り過ぎた江戸時代への郷愁があったことも確かであろう。
一いうまでもなく庄屋には藩政の支配機構の末端として、村民を統治する権力者の面と、村人の融和につとめ、生活を守りその意志を代弁して藩治の不合理や矛盾に対抗する村民の代表者としての二面があった。全巻をみていただければ、窮民への救米や水利争いの責任をとっての隠居など、同家が村人を愛し、より後者の立場に立っていたことは明瞭である。したがって、残され編集された本史料の価値も又公平無私、より価値の高い史料ということができよう。
結論をいうと、「国府叢書」全六十五巻は、史実を愛した氏が、後世の我々の為に遺してくれた何よりの賜物であり、他に類例のない市民の宝である。その編集の態度と結果は、統治された百姓の味方という立場に立って平易であり、明快であり、また生々しく極めて真実である。何らかの出来るだけ早い機会に、残りの四十二巻を公刊して、近世の庶民の歴史の全貌を我々の手にしたいものである。唯残念な点は、僅かではあるが記載部分が糸で綴じ込まれていて読めない部分があること、素稿のまゝで文章化されてない箇所のあることである。
巻一~五は、国分村庄屋文書の外に「鈴木永頼見聞録」、「戸塚家古記」、「江戸御用日記」、「勤仕録」など、多種の基本史料を駆使した今治藩の編年史である。しかし既刊の『今治拾遺』が、藩政の立場から、いわば為政者側からの編年史であるのに対し、藩士や百姓など支配された者からみた、裏側からの編年史である。したがって布達や触書を中心としており、ために分量が多く、各項目共に詳細である。また物価や諸帳簿の記載方法、生類憐みの令にふれての処刑など諸事件の記録など内容も多彩である。例えば巻三では、下男下女の勤務条件、休日や給料、副食の種類までを藩が定めており(宝暦四年十一月~天明元年四月)、宝暦九年十二月の詳細な「村法定書」は、農政への藩の基本姿勢を示すものである。巻六は以上の五巻の要約版であろうか。
巻十~十三の七冊は、加藤家の所蔵する文書の中から、藩法や藩触のみを収録したもので、今治藩政の根本史料であり、巻一~五巻の基礎史料であり、いわば本叢書の骨格をなすものである。延宝以前を欠くのは残念であるが、文量は尨大である。しかし巻一~五と重複する部分については、一部省略してその巻数を記した。内容は時代を下るにつれて豊富となり、幕末維新期が特に詳細である。また村々からの藩への願いや、災害、巡見使の通行、物価、中央の動きなども含まれており、多彩な内容である。
巻十四~十六は明治初年から二十年位までの、近代化への急激な変革期の史料である。この期の史料は明治の町村制発足に伴なって処分される事が多かったためか、県下でも余り残って居らず、戸長制時代の村政を知る意味でも貴重である。巻十四は区制や区費、地租改正についての詳細な記録、巻十五は戸長制時代の日誌であるが、約半分を明治五・六年が占めており、太政官や石鐵県布告によって国・県政を窺うことも出来る。巻十六は日清戦争前後の村政を示している。
巻十七・十八は「旧想録」と名づけた氏の庄屋時代の回想録で、庄屋以下の役職、年貢収納の詳細や藩の禁令や布告、検地の方法や帳簿の記載法、農作業の方法、幕末の世情など、多面から近世の農村の生活全般を具体的に説明している。生きた村政事典である。巻十九は藩士の分限帳や家格、役職、小役人の職名や氏名も記している。
巻二十は巻十七、十八の補足で、藩の刑罰や庄屋の年間の仕事などを述べている。巻二十一は今治藩の概要や、大割役、宗門堀、火消番、奉公人取締、砂防法など約七〇項目の藩政事典で、初めに目次を掲げている。巻二十二は地租改正実施に関する具体的で、詳細な記録である。巻二十三は、正月から節句、お盆、大晦日までの年中行事、農作業暦、衣食住などを巧みな絵入りで詳述している。本叢書の中でも異色の一篇である。
未刊史料のうちでは巻三十四~四十七の諸巻は、今治藩政の基本史料であり、巻四十八・四十九は藩政・村政の全般を事典的に項目にしたがってわかりやすく記述した大部のものであり、本叢書中の重要書目の一つである。いずれにしても、総目録を通覧していただければ、「国府叢書」の価値は歴然であり、これ以上の多言は要しないであろう。なお友太郎氏は、明治四十二年七月に、六十一歳で没した。氏をうけて徹太郎氏もまた多量の資料集(未整理)や日記類を残している。
(斉 藤 正 直)