宝永二乙酉年四月廿三日 本誓院様御屋形建築 (江戸日記之写ニヨル)
宝永四丁亥二月廿四日 江戸下屋敷茶薗割付 (江戸日記写ニヨル)
[宝永五子九月廿四日 在番御免、小笠原信濃守様御交代トナル、]
正徳三癸巳十一月廿四日 今治紀伊国屋船七右衛門船、遠州御前沖ニテ遭難
享保三戊戌二月十六日 御通掛(下級士族)御目見以下下駄雪踏停止
同月十七日 東西(江戸今治ノ事)往返ノ書類、 省略セシムル様被仰出候、
十月廿一日 兵法御遣形拝見被仰付ノ席次 御師範三好八太夫、自現流也、
三月十九日ヨリ廿二日迄 大川(惣社川)瀬堀 (中村庄屋旧記)
享保四年己亥十月廿日 古国分村天神差縺所分済桜井旦両村離散事
[享保四己亥十二月 御妹お春様、渡辺丹後守様ヘ御再嫁之御願之御証文扣
[享保九年甲辰二月廿一日 (今治御在府日記写)国分村前庄屋惣兵衛儀、]
享保七壬寅六月廿二日ヨリ 大風雨諸川大水被害 (中村庄屋旧記)
五月二日 足軽東町ヘ引越料被下方 (笹ノ内屋敷事)(笹之内組屋敷共云)
享保十三戊申二月朔日 三島太祝、新田十石並御初尾米三石宛寄附
同月十七日 米雑穀他処売停止 八月二日今治港ゟ雑穀ニ限積出御免
享保十七壬子年九月 御觸書ニ曰ク (国分村旧庄屋御触扣ニヨル)
享保廿乙卯年 西ノ丸大手御門番被仰蒙 (六月十四日 御系図)
同年十一月卅日 従公儀被仰出候御書付ノ写 (公儀トハ幕府也)
六月十四日 定郷公西丸大手御門番ヲ蒙ムラル (今治藩御系図ニヨル)
十一月十八日 届 雨フリ続キ損毛高七千五百三石五斗三升(御証文扣)