巻二

自著 今治藩史 二 自宝永至寛延

[江戸前期(1704~1715)]

宝永元甲申正月十一日 光林寺祈祷料定

三月廿六日 松山城主御廟所御代参

三月晦日 改元

四月十四日 魚類沖売禁止ニ付取締

五月廿九日 虎之門御普請御手伝ノ事

六月六日 密通本夫密夫ヲ切テ遁走密通者死

七月十三日 聖霊棚祭燈明ノ事

十月廿七日 善光寺如来廻國

十一月十一日 定基公奥御詰衆被蒙仰 (御系図)

宝永元甲申七月十七日 大風雨大損害

八月廿三日 大風雨損毛御届

同七月  風雨損毛(御証文扣)

宝永二乙酉年四月廿三日 本誓院様御屋形建築 (江戸日記之写ニヨル)

同四月十七日 町駕籠定

五月十八日 公儀へ鍔献上

六月廿一日 御造船

七月廿八日 西之丸火之見番被仰蒙

九月廿八日 深川御屋敷請取

七月廿日 琉球船漂着

九月六日 本誓院御自筆御経

十月十五日 公儀奥向御奉公被仰付

宝永三丙戌年二月八日 金銀吹直事

三月廿日 江戸御屋敷ニ而触

四月六日 松平隠岐守様国分御廟所御参詣

五月十八日 和田倉御門番ヲ命セラル

六月八日 八幡宮造営

同月十二日 愛宕山長床坊勧化

同月廿四日 大風被害

七月十二日 御家中引米被仰付

十月廿ニ日 雀溺死処分ノ事

十一月廿七日 城主定基公御婚礼

宝永四丁亥二月廿四日 江戸下屋敷茶薗割付 (江戸日記写ニヨル)

五月七日 駿府在番被仰付 (江戸日記写ニヨル)

[宝永五子九月廿四日  在番御免、小笠原信濃守様御交代トナル、]

宝永四丁亥十月四日 大地震

宝永四丁亥十一月廿三日 富士山噴火

同五戊子正月 弓削村字土生百姓強訴処刑

[同十一月十三日  一昨日土生浦江罷越候役人中、彼地江着船、

[同同十六日  西山文太夫、]

宝永五戊子二月朔日 足軽以下下駄雪踏停止

同月十日 幸新田土手築留 (再ヒ突出工事)

三月八日 内裏院中炎上

五月五日 強風雨

五月廿九日 御船小鷹丸乘初

九月十九日 正福寺ヘ守本尊ヲ安置セラル

九月廿四日 駿府在番御免 (駿府在城日記写ニヨル)

三月十五日 浅間惣社ヘ石燈籠寄附

十一月八日 於さつ様卒ス

宝永六己丑八月六日 奈良原權現之宮修覆始マル

同月十五日 大濱八幡祭禮神輿登城藩内取締

同九月廿三日 正福寺ヘ本誓院様守本尊ヲ安置ス

銀相場ノ事

宝永七庚寅二月二日 光範遷化

三月朔日 樹下薬師開扉

四月十七日 城郭石垣崩

六月朔日 公儀上使来

八月廿一日 給人以下引米被仰出

十月 米価

今年 稲作虫害藩納米減

正徳元辛卯八月廿一日 上神宮村半兵衛江戸ニ於追放

十月十八日 朝鮮国ヨリ信使来リ着府

正徳元辛卯十月晦日  御領分当秋日損并ニ虫入御損毛ノ届出ル、

正徳二年正月 郷村諸法度

正徳二壬辰二月 火消番人数定 (今治在府江戸)

三月三日 一乗院宮江戸ヘ下リ

六月 西尾雲説永御暇

五月廿五日 洪水

五月朔日 正徳ト改正

六月十三日 桜田外門番

正徳二壬辰八月 御家政御困難御引米被仰出

正徳三癸巳二月十七日 隆慶寺観音開扉

正月廿ニ日 高野山中河野ノ位牌堂再築

二月十二日 他領買入停止ヲ解ク

六月廿六日 於幾様御婚礼

七月十三日 大風雨

八月十五日 増上寺ヘ石燈篭ヲ建ツ

十一月六日 証文ヲ公儀ニ出ス

四月廿七日 於好様御婚礼

正徳三癸巳十一月廿四日 今治紀伊国屋船七右衛門船、遠州御前沖ニテ遭難

十二月廿ニ日 深川御下屋敷類焼

正徳三癸巳十一月  宇摩郡半田村大光寺人形廻シ願ノ事

正徳四甲午二月 大門修覆 山里橋修覆

同年六月三日 盗人由平斬罪獄門 (公儀ヘ伺済ノ事)

十一月 古船売拂及新調船証文ノ事

[正徳四年十二月  公儀ヨリ仰出され制札、

同年十二月 下通年頭礼日

同年九月三日 定番中小性席次変更

大新田村新田ヲ墾ク

正徳五未年三月 下通(小役以下)服忌ヲ定メラル

正徳五乙未二月十七日 一字一石供養

四月十五日 宇摩郡絵図調ラル

六月廿ニ日 和田倉御番

同月同日 小野洞雪死

七月九日 桂村訶利帝遷宮差縺ノ事

正徳五 八月廿六日 諸職人給料被定

十月十九日 みかさつけ停止被仰出

十一月廿七日 御城井水御普請

十一月五日 自体鼻ヲソキ追放

十二月八日 時疫流行施治医師ヘ金員ヲ賜ル

正徳五乙未年七月廿日 拝志町住足軽白石久兵衛口上書ノ写シ

同役青野武右衛門家記写シ

[江戸中期(1716~1751)]

享保元丙申二月十四日 本荘御材木蔵火之御番ヲ被ル

三月五日 盗人十兵衛斬罪獄門七之助同

三月十五日 拝志上村姫坂明神棟札書式差縺

四月朔日 御召船新造下シ

四月晦日 公方様御他界

六月八日 大雨諸川堤防欠壊

八月九日 於幾様御遠行 (藩主定陣公ノ女)

十月廿三日 江戸ヨリ今治ヘノ書通ノ義被仰出

十月廿日 御朱印御改ニ付差出ノ事

十二月十三日 煤拂御吸物被下止ム

十二月廿五日 天神ノ絵像掛祭ル

[享保元丙申年十一月廿五日  御領分当秋虫指不作ノ届有之、]

[同月日  有章院様御霊前ヘ、石燈籠一基御献上(御証文扣)]

享保二丁酉正月二日 内外徒格ノ面々敷居之内三ノ間ニ定ル

同月七日 木挽町御屋敷類焼

四月廿日 御巡見使御入領

八月より二月まで御留守中筒打稽古許サル

七月廿九日 旱魃ニ付雨乞祈祷有之

八月朔日 売船(商売船)焼印始ル

同月十六日 江戸大風雨

[同年正月七日  当日、火災、古記録宝物等多ク焼込、云々、]

[  木挽町御屋敷坪数御書上有之、]

享保三戊戌二月十六日 御通掛(下級士族)御目見以下下駄雪踏停止

同月十八日 霊厳寺寄進

四月朔日 大坂御屋敷御修覆

同 百貫嶋伊方ゟ見通

五月朔日 江戸御上屋敷不残類焼 (木挽町)

享保三戊戌  御領分当秋旱魃御損毛高之御届六千九百俵余、

六月十二日 木挽町上屋敷御用ニ付差上代地麹町ニテ被下置

七月廿日 旱魃ニ付雨乞

八月十二日 暴風雨 江戸 同断浜ノ手御長屋大破

同月十七日 東西(江戸今治ノ事)往返ノ書類、 省略セシムル様被仰出候、

九月廿八日  毎月廿八日ニ限肩衣着用不及

十月十五日 宗門大改ニ付今治人高

十月廿一日 兵法御遣形拝見被仰付ノ席次 御師範三好八太夫、自現流也、

同十月三日 東西文通ノ義被仰出候

十一月八日 琉球人来朝

十二月 川方中間廃止

十二月四日 御書院御廣間列座之次第如左

享保四己亥年正月三日  糀町御普請諸役人被仰付

同月廿九日 地祭戸田数馬江御頼

三月廿一日 宇摩郡大庄屋給始ル

同月廿三日 御引方被仰出

五月十二日 岡澤文右衛門殺害セラル

六月廿九日  五七九ケ月朔日御禮ノ為出仕ヤム

七月四日 嶋方旱魃雨乞 地方同上

九月二十三日 朝鮮人来朝 駿州吉原通過御馳走役ヲ被仰付

三月十九日ヨリ廿二日迄 大川(惣社川)瀬堀 (中村庄屋旧記)

[  五月廿二日ヨリ七月五日迄雨ナク、]

享保四年己亥十月廿日 古国分村天神差縺所分済桜井旦両村離散事

十月二十日 御舟下シ

十月廿日 国分村天神社ノ別当社人差縺レ処分

十一月十七日 御上屋敷地形取 越智九兵衛奉行被仰付地割ノ事

同月廿九日 神供寺移転

十二月廿六日 御祝御次廻被下従今年相止

[享保四己亥十二月  御妹お春様、渡辺丹後守様ヘ御再嫁之御願之御証文扣

享保五庚子正月廿一日 糀町上屋敷普請奉行定ル

二月五日 足輕東町引移ノ事

同月廿三日 他領市場ニ行事停止

同月廿六日 山里橋修繕 三月十一日修繕出来旧復ノ事

二月七日 稲荷社遷宮 (江戸御屋敷)

四月廿八日 室屋町大火

五月十二日 奈良原社修繕

七月 朝倉中ノ村(今南北村)下村(松山領)

七月廿一日 旱魃ニ付光林寺ヘ雨乞被仰出

八月十五日 八幡宮神輿登城席次

八月廿四日 郷手代等田畑所有停止

十一月廿七日 糀町上屋敷給人中小性小屋割

十二月八日 焼炭積出シ禁止

十二月九日 引米減セラレ及拝借銀ノ事

享保五庚子年十一月廿五日 松平隠州卒去

享保六年丑年正月朔日 糀町御上屋敷御門開

同月十八日 お春様御婚礼

同月廿九日 鉄砲之鳥売買停止

三月朔日 五節句御家中御礼請之事

同月二日 御上屋敷御表御殿釿始メ

同年五月廿七日 国分村登畑村水論

[享保九年甲辰二月廿一日 (今治御在府日記写)国分村前庄屋惣兵衛儀、]

閏七月十五日 大風雨被害多イ

九月廿九日 宗門人高会所ヘ差出ノ事

十月六日 不時火消行列定 (江戸御在府日記写)

享保六辛丑七月 領分田畑畝高人口等取調書

享保七壬寅年正月 士族足軽以下洗湯入浴停止

同年正月廿日 拝志町牛馬市及芝居特許

四月二日 松山城主御廻領ニ付当御領御通駕

五月朔日 小鷹丸新造

五月十日 料理人追放田地質ノ事

五月十九日 愛宕金剛院正五九御祈祷始ル

六月二日 町口橋掛替出来

享保七年六月廿三日 強風雨大川堤防切其外被害多シ

[七月朔日  今度洪水ニ而切込候実入新田、]

七月十日 再度ノ強風雨

七月三日 万石以上差上米被仰付

同月廿五日 洪水之節防禦法方御家中分

八月四日 引米減少ノ事

八月廿八日 熊野三山社堂修覆勧化

九月二日 寺町川普請

同月四日 蓮花寺再建勧化願

同月九日 円竜寺本堂移転

十一月廿日 城廓破損箇所修補許可

十二月朔日 御条目新年服定ノ事

享保七壬寅六月廿二日ヨリ 大風雨諸川大水被害 (中村庄屋旧記)

享保八癸卯二月九日 葵ノ紋停止

同月廿三日 拝志町牛馬市芝居特許

三月八日 八町村甘神子社破損修補

五月二日 足軽東町ヘ引越料被下方 (笹ノ内屋敷事)(笹之内組屋敷共云)

五月廿日 雨乞

七月廿九日 秋岸院様御位牌法花寺ヘ御預

七月廿七日 佐膳様定基公為養子御入

八月廿九日 酒売却直段ヲ定メラル

九月三日 座頭江被下物ノ事

十二月二日 内外列居之次第如圖

十二月十九日 若殿様官名筑後守ト改メラル叙従五位下

九月廿七日 若殿様御婚姻

享保九甲辰正月廿八日 若殿様官名御改旅座当瞽目江被下

二月十一日 御船水主看板仕着改正

同月十五日 衣服以後麁品ヲ用ユヘキ旨被仰出ル

二月十五日 社人他所刀御免

同月廿一日 国分村前荘屋道之口御免

同月廿三日 商家今治町年寄家保護之事

三月一日 鳥生村明積寺(六十六年目)本尊観音開帳

三月廿日 拝志芝居今年モ此日ヨリ始ル

三月廿二日 大坂大火

四月廿九日 惣社川瀬堀普請始

四月 大旱魃

五月十二日 藩士中藩内菅笠御免

同月十五日 郷村普請質田地等ノ件被仰出

六月廿九日 鍋地村寶林寺山号杉生山ト改ル

七月五日 花火打揚場所

八月十四日 汐高満

十月四日 本誓院様卒ス

十月十七日 定温公生ル

十二月十八日 世子定郷公任官

享保十乙巳年正月十二日 毎月十五日出仕御免 (御家中)

四月十七日 御参勤御送方御道中勤方等

三月十八日 江戸米相場

四月十一日 町人長島屋江綿問屋ヲ許サル

七月廿三日 城郭修補

九月二日 横堀船入並土手服付普請之事

享保十一丙午正月廿四日 大坂御屋敷類焼

三月廿日 片原町下石垣普請

四月廿一日 寺社境内竹木伐方ノ事

四月廿四日 蔵敷八幡宮勧化

五月六日 御領分人高改書

六月八日 三ノ丸土手普請

九月廿三日 宇摩郡洪水被害

十一月十三日 士族以下引米

十一月廿四日 枯穂虫指

十一月 朝鮮国江漂流人ノ事

享保十二年丁未十一月廿八日 豊前国宇佐八幡宮勧化

十二月十日 御上屋敷類焼 (糀町)

前十一月三日 片原町浜修繕ニ付入船ニテ出銀セシムル事

十二月 江戸上御屋敷類焼ニ付拝借方

享保十二年丁未四月 日光ヘ御名代承ル

同五月十五日 公儀御用向(法事)ヲ蒙ル

享保十三戊申二月朔日 三島太祝、新田十石並御初尾米三石宛寄附

同月二日 糀町上御屋敷上地及替地ノ事

三月十二日 塩辛干鯛数量

四月廿日 薬草御尋御用

五月十三日 御上屋舗御長屋御普請釿初

[四月廿四日  (今治御在城日記)向後五月節句過候而寒日、]

五月朔日 菅笠藩内着用

八月廿日 御上屋敷長屋割渡 (糀町)

同月十五日 薬草改役人通行

九月二日 大風雨

[九月十四日、  今度満水ニ而両国橋其外所々橋流失ニ付、]

同月廿九日 糀町御上屋敷玄関出来

九月三日 惣社川江立

九月十七日 南都興福寺勧化

享保十三戊申年七月十二日 於三穂殿卒去

同十一月九日 於春殿卒去

十二月十一日 古谷村文殊開扉

同月十六日 伊豫熊権現神輿初ル

同月同日 嘯月庵弥陀開帳

享保十四己酉正月七日 火防行法

正月十八日 江戸御供之節衣服

三月廿三日 縊死以後石碑建設追善停止

四月三日 江戸米相場

六月六日 旱魃

同月七日 青木神社石燈籠建立

八月十九日 大風雨被害多シ

九月十四日 暴風雨大被害

九月七日 新足軽中間給米定

十一月九日 普請方出郷加扶持定

十二月十六日 新谷村吉祥寺三十三躰観音寄進

三月十六日 桜田組内御防場被蒙仰 (御用所日記)

[享保十五庚戌正月十五日  (同)向後月次ノ出仕、]

三月廿八日 芝居見物他領ヘ行事停止

六月三日 浅草御売米請願

同月廿日 馬道有無之争

八月晦日 江戸大風雨

八月九月 両度領内大風雨高汐

享保十六辛亥正月廿九日 松平中務少輔様御遠行 (新橋様也)

三月八日 寺河原村真光寺本尊薬師仏開帳

三月十日 深川御下屋敷御差上

四月十五日 江戸大火新橋様御屋敷類焼

六月五日 青木社ヘ金燈籠御寄進

七月十七日 取除無尽場立寄事停止

同年八月 風雨多く稲作損害多シ

享保十七年 麦稲作凶荒 (中村庄屋旧記)

同年二月二日 定郷公御家督

二月廿三日 光林寺御祈祷之事

四月三日 山里橋修繕出来

同月五日 定基公御着

同月十九日 外桜田御門番ヲ蒙ムラル

七月十一日 定郷公家督後初入

同月十三日 旱魃稲作大虫害并来

同月十六日 拝志真光寺雨乞

同月十七日 米雑穀他処売停止 八月二日今治港ゟ雑穀ニ限積出御免

七月十八日 人民所有ノ穀物封印ノ事

八月六日 穢多頭江被下有之事

九月廿七日 凶作御救米願之事

八月廿三日 盤将御玄関休憩所ニテナラス

八月廿八日 京都六孫王権現堂修繕勧化

十月十日 大坂ヨリ御廻米ノ事

[十一月二日  (今治日記ノ写)阿部伊右衛門殿旅宿江、]

十一月廿三日 金参千両公儀ヨリ拝借

同月晦日 上弓削大火

[十二月二日  (江戸)小野次郎右衛門様江、]

十二月五日 国分村御藏盗人一八仕置ノ事

享保十七壬子年九月 御觸書ニ曰ク (国分村旧庄屋御触扣ニヨル)

享保十七年壬子二月 条々

享保十八年癸丑三月 覚

享保十八年癸丑三月 覚

御条目別紙

享保十八癸丑年二月七日 定基公改名

二月十六日 拝志町大火

[三月廿七日  (江戸御留守日記)御領分稲作虫除ノ御祈祷、]

[三月廿二日  (今治御在城日記)今日瀧之宮牛頭天王江、]

[六月四日  (江戸御在府日記)左之通ノ御触出、]

七月十一日 町方郷中宇摩郡倹約ニ付觸

七月廿七日 旱魃 豊作

八月十九日 江戸大風雨

九月二日 宗門大改人高届

[九月廿八日  (今治御留守日記)大坂町奉行稲垣淡路守様、]

十二月廿九日 新年礼式之事

享保十九甲寅年正月十四日 家中家来給米定ノ事

二月廿九日 大川(惣社川)瀬堀之事

三月三日 海上見習人員出頭

三月十一日 大川瀬堀ニ付賞辞

四月十四日 松山城主松平隠岐守様御廻領

四月十八日 とミつき及勝負事停止

同月廿六日 藩殺生停止場所ノ事 (郷民ヘ一切停止ノ事)

五月廿二日 盗人権助斬罪獄門

七月廿四日 岩之丞様御出生

八月晦日 御家中鉄砲殺生停止

十一月十四日 蔵敷村東禅寺開扉

当時ノ田地ノ価

十一月十三日 虫害

享保廿乙卯年二月十三日 家中家来給米定

二月十八日 太鼓矢櫓修覆

三月五日 江戸御上屋敷御殿向御普請ノ事

三月十一日 朝倉山銅山

三月十五日 黒磯浜ノ間築留

同三月二日 家中芝居見物停止

享保廿乙卯年 西ノ丸大手御門番被仰蒙 (六月十四日 御系図)

七月廿九日 西ノ丸御門番被免 (御用処日記)

同年卯十月 御触書

同年十一月卅日 従公儀被仰出候御書付ノ写 (公儀トハ幕府也)

元文元辰五月 従公儀被仰出書 写

元文元辰十一月 従公儀御願書ノ写

六月十四日 定郷公西丸大手御門番ヲ蒙ムラル (今治藩御系図ニヨル)

五月八日 上野御参詣御跡固被蒙仰 (御用処日記)

十一月廿五日 当夏雨天打続、稲作不出来御損耗御届

元文二丁巳年九月一二両日 大風雨高潮損毛

元文三戊午年四月十七日 左ノ通被仰候

十二月十八日 定温公位階ヲ賜ル

四月十九日 外桜田御門番被蒙仰 (御証文扣)

五月朔日 世子左膳(定温)初上謁 (御証文扣)

九月廿六日 当秋大風雨損毛御届

十一月十八日  届 雨フリ続キ損毛高七千五百三石五斗三升(御証文扣)

元文四己未年 大風雨被害 (九月十九日届)

八月四日 御分家修理様卒ス

元文五庚申年七月十四日 付届 岩之烝様卒去

寛保元酉年 拝志上村荒蕪恢復ノ事

七月 大風雨

寛保二年壬戌年九月五日 神社裁許書有無公儀ヨリ尋問

同十一月十四日 当秋大風雨洪水虫付等ニ付御損毛御届高

寛保三癸亥年四月 御領分境論之義ニ付百姓御呼登之義有之 (御証文扣)

当秋 大風雨被害

延享元甲子年八月 大風雨

延享二乙丑年二月十二日 江戸屋敷焼失

五月 大雨出水 (御証文扣)

九月十九日 外桜田御門番ヲ命セラル (御証文扣)

九月廿四日 幕府記録日記等ヲ徴ス (なし)(御証文扣)

十一月晦日 今治城石垣崩ニ付修補願出 (御証文扣)

十二月十五日 当夏大雨洪水秋雨連日 稲作不熟旁ノ御損毛御届

延享三丙寅年三月 公儀御巡見今治領御通

三月調 越智郡領分人高

延享三丙寅年六月十七日 外桜田御門番御免

八月廿五日 今治城石垣修補成ル

延享四卯二月 国分寺本堂再建勧化許可

六月廿七日 世子定温公結婚 (御証文扣)

八月十三日  外桜田御門番ヲ命セラル(同上)

十一月廿四日 御領内当夏旱魃 (同上)

延享五戊辰 定郷公摂州大坂御加番ノ命ヲ被ラル

寛延元戊辰十二月 覚

寛延元戊辰二月八日 当秋大坂御加番代被蒙仰

六月十四日 例年献上素麺今年限見合

九月十九日 領内御朱印付寺社

当秋 風雨

寛延二己巳七月十九日 本壽院様卒

寛延庚午年四月廿四日 世子定温室卒

九月 御領中人高

十二月七日 当夏旱魃損毛届差出ス如左

寛延四年未五月 覚 御乗船前読聞候御条目

六月十七日 定郷公東叡山勤番