巻十六

惣代役場記録 明治二十八・二十九・三十之三ケ年

明治廿八年二月十四日(旧正月廿日) 集会

明治廿八年六月二日 夜会 軍人出頭中田手伝料贈与の事

明治廿八年十月四日 蒼社川仮橋架設之儀ニ付、鳥生村ゟ集会之儀申来ル、

明治廿八年同月四日 頓田川堤防等之件ニ付、郡役所へ出頭シ、

明治廿八年十月九日 蒼社川仮橋架設スル事を決ス、

明治廿八年十月十二日 頓田川水防事件ニ付協議会、

明治廿八年十月廿二日 部落惣会ニて左之通、

十月廿三日四日 凱旋兵士慰労大会、一統へ報告ス、

頓田川営繕之儀付、

明治廿八年十月廿三日四日 日清戦争ニ付、戦没者招魂祭、

明治廿八年十一月三日 ヲトシ(雨天順延翌日執行)、

明治廿八年十一月十五日 頓田川(十月十六日)治水事件上申ノ為出発、

明治廿八年十二月六日夜 委員会

明治廿八年十二月八日 各部落惣代村役場へ集会ス、

明治廿八年十二月九日 朝鮮国出兵、陸軍歩兵管三次解隊帰郷ス、

同十日午前五時 今治港着午後三時、国分村自宅迄安着ス、

明治廿八年十二月十二日 国分村凱旋兵士慰労会ヲ、同村字亀山丘上ニ開く、

明治廿八年十二月廿日 二級議員選挙会ヲ開ク、

明治廿八年十二月廿六日 廿八年度中協議費役引合ヲ武田岩次、飯尾貞助、

明治廿八年十二月廿七日 当部落へ触示ス、

明治廿九年一月五日 加藤友太郎、貴殿選挙者の選ニヨリ、

明治廿九年一月六日 廿八年度役米取立ス、

明治廿九年一月八日 清潔法大掃除の事を郡民へ触示ス、

広川清躬神職退ソく

四国鉄道株式会社ヨリ

明治廿九年一月廿九日 奈良神社保存会之件ニ付、鈍川管鶴次外壱名、

明治廿九年二月一日 鳥生橋破損ニ付、担当人武田、長尾、

明治廿九年二月二日 午前十時地震

明治廿九年二月十五日 村会開設其決議之件々左之如シ、

明治廿九年二月八日 県会議本年三月一日半数改選、

明治廿九年二月廿一日 頓田川治水之件ニ付、村長等之通知ニより、

明治廿九年二月廿日 県会議選挙会来、

明治廿九年二月廿五日 連合会議員選定の事、

一来ル三月一日、

明治廿九年三月二日 今治町ニて県会議員選挙、投票開函、其結果左之如シ、

同三月十一日 国分区会、桜井村役場内ニて開設有之候事、

同三月廿一日 名誉之助役選挙会開設之件ニ付、議会開設ニ付出頭ス、

三月卅一日 農会開設ニ付、桜井村役場へ出頭ス、

四月五日 初種痘の者、村上文太宅ニて実務をなす、

四月廿一日 再三種之者、村上文太宅ニて施行ス、

明治廿九年四月廿七日 国分部落協議会にて、左之件々決定ス、

明治廿九年五月九日 共有山柴草競売、実地買入見込之為委員出頭、

明治廿九年五月十日 共有山柴草競売之件ニ付、朝倉上村惣代ゟ、

明治廿九年五月十二日 共有草山柴草売却地、鈍川村並ニ鬼原村ニ属スル分、

明治廿九年五月十四日 土木懸り投票開札、左之如シ、

明治廿九年五月十五日 共有山、買得タル分左之通り、

明治廿九年五月十七日 共有草山之内、相谷ニて十二町歩並八町歩を上徳、

明治廿九年五月廿四日 桜井村各部落、下朝倉村各部落、上朝倉村各部落、

五月廿五日 八幡端松山壱畝、少之ケ処を管野貞一の紹介ニよりて、

明治廿九年五月廿九日 左之件村長ゟ

同日 村会、規定中三件訂正、

明治廿九年五月卅日 朝鮮出兵残員之内、三名帰村ニ付、

明治廿九年六月十一日 四国鉄道布設之儀ニ付、

明治廿九年七月十二日 出県友太郎

明治廿九年八月十一日 県属亀井某吉広、

明治廿九年八月十五日 四国鐡道布設ニ付、

明治廿九年八月廿五日(旧七月十七日) 鴨部村大字畑寺村光林寺惣代来リ、

明治廿九年九月 日付を以テ、国分字殿田、国分寺塔礎(官有地)

明治廿九年八月一日 集合左之事ヲ協定ス、

明治廿九年九月八日 幹流蒼社川、

明治廿九年九月十七日 幹流蒼社川橋架設之儀、

駄馬四寸以上ノ者取調方

明治廿九年九月廿一日 宇摩郡関川村大字北野、

明治廿九年九月廿三日 村長ゟ廿六日村会開設、

入札ノ事

明治廿九年十月十四日 村会開設、

同月十余日 脇屋義助公十九代之遠孫ナリとて、

同月十八日 国分寺茶堂修繕、

明治廿九年十月十九日 地方十四ケ村ニ関ル共有草山と、各己人処有之山林と

明治廿九年十月廿日 古国分村惣代ゟ

明治廿九年十月廿三日 桜井村農会組織之為、有志会役場内へ開設ス、

明治廿九年十一月十日 徴兵参事員益田茂市儀退職ニ付、

明治廿九年十一月十六日 大和之国畝傍教会拡張ニ付、

明治廿九年十一月十九日 菅嘉惣太、菅徳太郎、両氏入営ニ付、

明治廿九年十二月四日 夜会

明治廿年二月二日 (一月十二日薨御)皇太后陛下御柩、

明治廿年二月八日 御埋葬

明治廿年二月六日 委員集会、左之事を協議決定ス、

明治廿年二月十五日 夜会ニテ右籠出シ工事に付テも、

明治卅年二月廿四日 加藤友太郎処有地、

明治卅年二月廿六日 頓田川籠出シ工事、

明治卅年二月日 宮内省臨時全国宝物鑑査員青山盈敬、

明治卅年二月廿七日 古国分天満宮(綱敷)神殿、

明治卅二年三月十日 会

同十三日 水車営業者入替之儀ニ付、部落之承諾ヲ依頼ニ来ル也、

同十四日 古国分天神葺替相渡ス、

明治卅年三月十九日 惣代選挙之処、飯尾忠太十四ニテ当選セリ、