巻四十三
国府叢書
朝幕 今治藩見聞録
文久二壬戌十一月廿日(松平豊後守役番申渡)
井伊家十石ノ領地ヲ没収セラル
内藤紀伊守 名代 諏訪庄右衛門(加判の列相勤、不正の取計)
間鍋下総守 名代 間鍋 熊太郎(勤役中外夷取極の事)
下総守 嫡子間鍋安房守 名代 同人(父下総守勤役中、外夷取極の事)
酒井美濃守 代名 津田若狭守(養父右京太夫京都所司代勤役中の取計)
堀田嶋之烝 名代 小倉新十郎(父見山勤役中、外夷取極の事)
久世●(金偏に舜)吉 名代 福田甲斐守(父大和守勤役中注意書)
安藤●(金偏に舜)之助 名代 安藤小膳(父對馬守勤役中不正の為御咎の命)
小笠原長門守 名代 水野伊勢守(京都町奉行勤役中取斗)
御小納戸 小笠原織部 名代 桑村吉治(父長門守、御制度紛乱の為、御役御免、隠居)
中奥御小姓 薬師寺備中守 名代 吉田太右衛門
水戸ノ浪士、井伊掃部頭ヲ打ツ
有村和七郎、井伊掃部頭ノ首ヲ切リタル
右三月三日始末、公邉ニ届書写シ
掃部頭公邊届書
井伊掃部頭様桜田門前ニテ浪士ノ為ニ殺サル
文久四子三月十五日(天子様?将軍家茂公様へ、御勅書并御答書の写シ)
将軍様御請書
千両役者見立評判記
横濱鎖港の義
長州使者、攘夷鎖港取究ノ為、来ル藩主ノ注告書ヲ写
長州松平大膳太夫様より御口上趣意書写シ
御演舌書、主意書ノ写シ
御当方より御答書写シ
元治元年子七月三日写シ置ク大坂天神橋本へ、立札出ル写シ
元治元年子七月十八日より同廿一日迄、京都大火騒動風聞書写ス
長州ノ事
嵯峨、山崎等ニテ長州勢戦死ノ事
京都御役所より諸所出口へ、御觸出し御手当
三条大橋え御高札場え相立候写シ
焼失大凡
京都焼侍前ノ夜
子八月七日、市中富家之者共、御軍用金御借入
長州藩追討ノ令
戦争可申、尚、出軍之日限、追て可被達候事
八月十一日、郷中分御借入高
京都、禁裏御所より御沙汰書写シ
長州征伐禁闕ヨリ被仰出ノ事
四国討手
今治出陣水主用意
今治藩追討ノ命ヲ蒙ル
長州追討諸藩及ヒ、其出頭路定ノ事
陸路、石州より薮夫より山口え攻寄候面々
海路、四国より徳山え、夫より山口え攻メ寄候面々
陸路、石州より萩、夫より山口え罷越面々
海路萩、夫より山口え罷越候面々
元治元年子十二月八日、三組御頭様え歎書差出候寫シ
元治元年子十一月廿七日、尾州公より御使者
長州追討ノ儀ニ付、今治藩建議書ノ事
此方様より御建白(今治藩ノ事)
十一月
三条已下引渡ノ事
今治藩軍令書
今度長州御行軍ニ付、御家の御軍令書
条々
尾張大納言軍令
尾張大納言様より御目通ニて御渡御下知
公儀より御軍令被仰出候写シ
長州帰順、今治藩ノ兵帰ル也
長州ヲ再討ツ令出ツ
慶応二年寅二月、公儀より被仰出候写シ
慶応二寅四月十七日、御用所より被仰出候御書付写シ
御番手組連名
長征徳川家ニ對シ檄文ノ写シ
右ハ御番手組え廻達写シ置ク
慶應二寅五月十六日、御用所より被 仰出候御書付写シ
殿様御直書写シ
禮席定
寅五月廿四日、御用所より公儀御達の書写シ
長州御出陣小役人已下人員
長州再度ノ征伐也
寅五月廿五日、御用所より被仰出候御書付之写シ
長州出陣中、御手洗ヨリ大浜字小浦迄引返ス
松山勢八代ニテ敗走、佐久間大学戦死のうつし