巻四十四

国府叢書

會津藩追討木村家日誌

慶応四辰五月廿五日(今冶表出立)

甲府詰ヲトカレ上京命セラル

下野国出兵被仰付

各藩人数高

(八月)七日(宇都宮騒動)

八日 (正六ツ時以降出張の人数)

九日(肥藩注進)

十日(肥藩、日光表押寄構想)

今市宿営(図)

十一日(宿陳)

上滝村賊ノ宿陳

十二日(賊徒宿陳)

十四日(東京大総督府御沙汰)

十八日朝(中津、人吉出張依頼)

十九日朝(輜重方、軍目付出張)

廿一日(藤原村大火)

上下瀧村放火

廿三日(小山銀太郎出立、三藩御相談)

廿四日(日光表操込)

廿五日(肥藩江戸表へ引取)

廿六日(朝日光御宮並三宮参詣、今市迄壱弐ノ隊進軍、人吉藩大渡へ操出)

廿七日(今市滞留)

廿八日(今市滞陳)

横川戦争

廿九日(藤原辺迄進軍)

晦日

九月朔日

日光警衛、會津進軍

三日

監軍中村半次郎へ協議、進軍ス 

飛玉峠ニテ陣取、昼弁当遣フ

四日

本郷村ヘ進軍中苦戦

五日(賊徒散乱)

本郷村ヨリ進事半里、川ヲ渉リ又進事半里ニシテ、伏兵起リ我軍散乱

白川口一宿営

六日

七日

今治見張番所襲撃

八日(宇津宮見張番所ヘ賊徒河原ノ方より襲来)

九日

十日

十一日

十二日(城責の手筈雨天の為延引)

十三日

十四日(城責)

二ノ丸ヘ押込ム

十五日(川之内にて見張番)

十六日

十七日

十八日

會城落

十九日(會津降参)

今治日光警衛 

廿日(會津出立)

廿一日

廿二日

廿三日

廿四日

廿五日

廿六日 

廿七日

廿八日

廿九日

御家御届書写シ

進軍ヨリ日光帰軍マテノ届書

手負

分捕之品々

紛失の品

十月朔日

二日(中津藩見張番)

三日(進軍)

四日(結城人数、日光表操出シ、水戸書生組は田嶋邊へ屯集)

五日

六日(大総督府ヘ問合、控居候の御沙汰)

七日(藩主への慰問使)

八日(御隊長ヘ君上ヨリ御直書受取、一統長の出兵)

九日(中禅寺参詣)

十日

十一日(會ノ容保謝罪書)

内政ニ預り候人別

明国寺え退去

歎願書差出候節罷出候人数

肥後降参始末書取

肥後城内立退ノ事

十二日

十三日

十四日(堀江氏参上時書取)

今治藩寺社役所御記写             

十五日

十六日(白川口薩藝等引拂)

十七日

十八日

十九日(進軍日記写)

賊開山ノ宿放火、退却

関山ヲ敗リ本郷村進軍、大地村へ報ス

宇津宮兵列ヲ乱ス

監軍、藝退却ヲ責ム

兵粮一日分、長藩ニテ借ル

弾薬等ヲ奪ヒ取ラル 

賊咽喉ノ飯寺村ノ戰ヒ

同九日

十日

十二日(天氣次第城攻の事)

十三日(天氣悪化の為進軍見合)

十四日

十五日(軍監所ヘ可罷出旨)

十六日(天神橋通行の賊ヲ番兵所より打拂、軍監での軍議)

十七日

十八日

酒肴料金渡

十九日(小倉藩ヘ固メ場相渡、軍監使者到来)

日光護衛トシテ引取ニ決ス

廿日

廿一日

廿二日

前罪ニ對シ、二名實効ヲ立テシムル事

廿三日(夜本陳物置出火)

廿四日(會津困窮鬱散の為一統大會)

廿五日(喜連川宿にて堀江氏輜重方等ニ出會)

薩州合印

長州藩合印

土州藩合印

中津藩合印          

佐土原藩合印

尾州藩合印

大垣藩合印

備前藩合印         

紀州藩肩印 

小倉藩合印         

大村藩合印

結城藩合印

大村藩袖印         

黒羽藩合印    

館林藩袖印    

大田原藩肩印

長沼藩袖印

高田藩袖印    

宇津宮藩合印

宇津宮袖印    

壬生藩合印

藝州藩合印

上輩肩印

肥州藩合印           

人吉藩合印 

甲府ニテ廻達之彦根藩合印

今市ニテ廻達 肥州藩

今治藩合印

十月廿日(奥羽平定の為、進軍の者一統帰府の命)

廿一日

廿二日(薩土佐土原藩、荷物人数大分引取、小山宿泊リ)

廿三日

廿四日

廿五日(江戸御屋敷ヘ引取の御届完了)

廿六日(隊長大惣督府にて、分捕物差出)

廿七日(行政官ヨリ隊長銃長ヘ、明日巳刻登営命令、同日武州一ノ宮中山道御幸)

廿八日

隊長以下賞賜

御屋敷ヲ給ル

廿九日(一宮より還御)

三十日

丹下賞賜

十一月朔日(丹下幸十郎、大総督より金千疋、羽ブタイ壱反頂戴)

弐日

大総督酒肴ヲ賜

三日(大総督より一統ヘ為御慰労、御酒肴料頂戴)

四日

酒頂戴也

五日(日光宮護衛)

六日

毛布料被下

七日

八日

九日

十日

十一日

十二日

十三日

十四日

十五日

十六日

十七日

十八日

十九日

廿日

廿一日

廿二日

廿三日

十二月朔日(船待合の上出帆、今治新地川ヘ着、夕登城)

追記