向山雅重先生の名人芸は聞き上手話し上手である。坊主頭の一見百姓の親父といった風貌が、誰にでも親しまれ、つい何事も本音で話したくなる。それに話し始めると、何時(いつ)の間にかどこからか、太い万年筆と野帳を出して、これはと思うところは、虫眼鏡で見るような小さく美しい字で、すらすらと書き留められて行く。時には巧みに地図や見取図、実物写生図が書き加えられて行く。
話し手は、自分のような無学の者の話が、高名な民俗学者である先生の参考になるであろうかと半信半疑に思いながらも、熱心に聞いてくださるのに感激して、そこはかとなく知っていることを話したくなり、手元にある物は資料として提供する。
向山先生は、そんな村人たちの語るのを、特有な親しみを込めた眼差しで、じっと見つめながら、時々相槌を打ち、それにまつわるいろいろな話をつけ加えて話されるので、話は更に盛り上り延々と続いていく。それにつれて心の交流が出来、「先生又来ておくれ」と言うようになる。
このようにして書き留められた野帳が、箱に何杯もあり、現在雑誌や新聞に発表している論文の大部分は、二十年も前に集録したものであるという話をかつて聞いたことがある。
書き留められた内容は検討の上、長年にわたって築き上げられ体系化された民俗学の中に組み込まれ生かされて行く。
そして、民俗学や郷土史の研究会、学校やPTAから依頼があると、どこへでも気軽に出かけて行き、どこの会合でも聴衆に深い感動と共感を呼びおこす話をされる。
これは先生の眼と心が、常に聞く人の視点におかれており、名も無き民の心を心とした向山先生の人柄のしからしむる所であろうか。先生の書かれる文章は、平明でありながら味わい深く、後々まで心にしみ通って残っているのはさすがである。
表現の適確性について思い当る節がある。それは辞書の利用である。先生が常に使っている“広辞苑”は三冊目、“漢和大辞典”は二冊目であるという。あの、書物は勿論文房具までこよなく大切にする先生の辞書が、使用できなくなる迄には、どれだけ使われたのであろうか。気の遠くなるような話である。
「山国の生活誌」月報4より
聞き上手話し上手の向山先生 熊谷大一