現地について、実物について、自分が納得いくまで見極めなくてはいけない。西洋の画家ミレーの言葉に「見ることは描くことだ」というのがあるそうです。絵を描くのに描こうとするものをよく見つめることが、絵を描くことだ。何か調べるということは結局見ることであります。測ってみることもそうですし、よくていねいに見てみることもそうです。写真にとることもみることの一つです。自分に見えたものしかみえませんが、写真にとっておきますと、見えないものまで写っている。あとでみえるようになってから、その写真をみると、ああ、そうかということが分かります。
何かものを測ってみるとか、手でおさえてみるとか、何でも「みる」という言葉がつきます。考えてみる、調べてみる。「見ることは描くことだ」というミレーの言葉、これは私は民俗をやっていく者にとっては特に大事な言葉だと思います。彫刻家の石井鶴三は、もっと簡単にうまいことを言っている。いろはかるたに「犬も歩けば棒にあたる」という言葉がある。そのボーという言葉は、フランス語では美という言葉だそうです。自分がモデルならモデルで作品を作ろうとする時に、いくら一生懸命作っておってもできない、そのモデルのまわりをぐるぐるまわって何べんも何べんも歩けば、モデルがみえてくる。そうすると自分の彫刻ができてくる。「犬も歩けば棒にあたる」美を求めているわけではないですけど、お互いにやっぱり現地について、自分の足と自分の目、自分の耳、自分の鼻、自分の舌でもって、そのものを見、臭ぎ、味わって、現地について絶えず調べる。わからなかったらもう一度現地にいって調べる。そういう姿勢を大事にして行くことが一つの方法ではなかろうかと昔から感じているわけであります。
第三回八常民大学等合同研究会記念講演
昭和六十年八月十七日採録