子どもが楽しみにしているお正月を迎えるお年取り-おおみそか(大晦日)の夜は、家じゅうみんなそろってお年取りの祝いの膳に向かいます。
そのお年取りの祝いに、なくてはならないお年取りざかな。それはこの山国信州にとってまことに貴重な、海遠く運ばれてきたサケ、そしてブリです。切り身が、あざやかに赤く、しあわせをもたらす思いのサケは、北信、東信から諏訪までの人たちが「栄える」という縁起をたっとびます。ブリは、小さいときはイナダ、さらに大きくなるとワラサとなり、成熟してブリと呼ばれます。その成長につれて名前が改まっていくので、「出世魚」として喜ばれます。イナダは結婚祝いの膳に必ずつけられる祝い魚とされています。その成熟したブリを、年取りざかなとして祝うことは、わが子の成長を祈り、新しい年のしあわせを祝う心です。このブリは中信から南信で、なくてはならぬもの、とされています。
昔は、これらの海魚は、山国信州へ入ってくるのに遠い道のりを要しました。サケは北国街道、それに利根川を舟でのぼったものが碓氷峠を越え、富士川を舟でのぼったものが甲州街道で、というように入ってきました。ブリがよくとれるところは能登(石川県)。この能登ブリが越中(富山県)へ入り、飛騨(岐阜県)を過ぎ、野麦峠を越えて信州へ送られてくるのは「飛騨ブリ」といってたっとばれました。一方、能登から糸魚川(新潟県)へ入り、糸魚川街道をボッカ(荷運び人)で送られてくるのが糸魚川ブリでした。
これらのサケやブリを一匹買えるひとは、おだいじん(お大尽)。半身、あるいは切り身で買い、せめて年取りにはめいめいの膳につけてやりたいのが親ごころ。焼きざかなもいいが、ブリの酒カス汁は、ことに楽しいごちそうでした。
サケやブリを買えないひとは、イワシかサンマでお年取り。その一匹は「おかしら(尾頭)づき」といって、祝い魚として喜ばれました。
おかしらづきといえば、そのごく小さい姿のタツクリは、やはり祝いに喜ばれ、農家では「田作り」の心もかよわせています。マメ(大豆)は「まめ」(健康の意)に通ずる心で、煮豆が必ず用意され、カズノコは子孫繁盛、コンブは「喜ぶ」に不老長寿の思いをこめて用いられます。それに、サケやブリの頭や骨などを、厚切りの大根といっしょに煮込んだ「にこごり大根」のほかほかとあたたかいのもうれしいものです。
こうしたごちそうのならぶ膳についての楽しいお年取り。神だなにはオアカリ(お灯明)がともされ、何かにぎやかく楽しいものです。
「お年取りだ。ワレも一杯飲め…」などと、お父さんが幼いものにもオミキ(御神酒)をすすめる姿もほほえましい風景です。行く年を送り、新しい年を迎える祝福のお年取り、その膳にそなえられる年取りざかなのかずかずは、新しい年のしあわせを祈る心情の流露といえるでしょう。
(『信濃毎日新聞』昭和四十四年十二月二十七日付掲載)