家屋の部分

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農家の母屋は家族が起居する床部分と作業、収納、炊事を兼ねた土間の部分がある。屋敷のまわりには土蔵、納屋、井戸、便所あるいは別棟に蚕室。また、門、塀、垣根、庭、屋敷、林などがある。農家の中心は、いろりのあるろばた。一家だんらんの場であり、居間であり、食事もし、夜なべ仕事の場でもあった。畳、障子、襖、そして家具の数々、日本の家屋のそれらも最近新築される家では洋間がとり入れられ、和洋折衷の家が多くなってきている。
 
観音堂 駒ヶ根市赤穂下坊 昭和43年11月
萱屋の屋根茸。屋根裏での作業。

 
萱葺合掌内部 宮田村 昭和43年6月

 
合掌造二階 駒ヶ根市中沢 昭和33年6月
屋根裏を養蚕に使う目的で建てたが、伊那谷では珍しい。

 
二本の障子戸 伊那市東春近 昭和41年8月
部屋の開放部分に障子が二本入っており、両側は板戸が打ちつけてあり動かない。これは、東春近近辺の特徴であった。

 
大戸口 駒ヶ根市中沢 昭和39年8月

 
大戸とくぐり戸 辰野町小野宿 昭和45年4月
出入口に大戸をはめ、常の出入りは大戸にとりつけてあるくぐり戸を使う。

 
大黒柱 駒ヶ根市東伊那 昭和43年12月
家の中心にある重要な柱で一番念入りにみがいた最も太い柱。普通は家の土間と居間(だいどころ)の境目にある。

 
箱段 伊那市西町 昭和43年12月
階段を利用して、ひきだしや戸棚を作ってある。

 
上ザシキの外の縁側 駒ヶ根市中沢 昭和39年8月

 
神棚 伊那市西箕輪中条 昭和38年9月
多くの神社のお札やエビス・大黒を祀ってある。

 
上段の間 辰野町小野宿 昭和44年10月
上客があった場合はこの間で接待をする。

 
風呂場 駒ケ根市東伊那 昭和43年7月
風呂は多くはスエフロ(据風呂)で通りの端や戸間口の外などの軒下に据えてそこで火を焚き入浴した。
 
据風呂を土間にわかせばけむがりて梁の鶏はこそめきさはぐ  雅重

 
いろり 飯島町七久保 昭和44年10月
いろりはかつて日常の生活の中心であった。火をたいて暖をとったり、自在鍵が下がり鉄瓶や鍋がかけられて、煮炊きがされ家族が食事に集まる場所。家族の座る場所が決まっていて、それが古くから守り伝えられてきている。

 
馬屋 伊那市下新田 昭和36年
農耕や運搬の中心をなす馬は大切な家族の一員で、母屋の中で一緒に飼育された。戸間口を入った通り(土間)の右か左にあって、人が通ると馬の顔がマセン棒越しににゅっと出てくることがよくあった。
 
自然石の土台 宮田村 昭和43年6月

 
木蔵(きぐら) 上村程野 昭和33年12月
壁土をつけず、厚い板で壁を作った蔵。
土蔵にくらべ火に弱いが、蔵の機能は十分にはたしている。

 
しぶきよけ 高遠町藤沢 昭和55年
谷風が強いので、その風雨を防ぐ為に土蔵の壁に腰板(しぶきよけ)をつけた。

 
お湯場 飯田市千代 昭和30年6月
母屋の通りに風呂桶をすえただけだったのを別棟に建てた。

 
かけづくり 上村下栗 昭和33年12月
渓谷の山腹などは「掛け作り」にしてその下屋(したや)を物置あるいは座敷にも利用するといった姿さえある。

 
外階段 下伊那郡天龍村神原 昭和51年1月
ハシゴをかけるところを階段をつけて便利にした。