日常生活で使われるものは、一般に民具といわれる。
人間の歴史は、道具の歴史ともいわれるように、人間は自然にある素材を利用してさまざまな道具を生み出し、生活をよりよいものにしてきた。たとえば穀物の皮をとりのぞくのに、一粒一粒手でむくのを、ひとまとめにして叩いてから風で皮をふきとばす。そのために臼や箕(み)・篩(ふるい)などを作り出した。
今はそれらの多くのものがプラスチックで作られるようになったが、その形、大きさなどは竹や木、あるいは藁(わら)でつくられたものを継承している。一つ一つの生活用具からさまざまな人間の自然への働きかけと創意のあとを知ることができる。
いろり端 宮田村 昭和35年12月
いずみ 不明 昭和35年
藁(わら)で編んで作ったいずみ(ツグラ・オクルミ)で、この中へ幼児を入れて育てる。
糊を挽いた臼 飯田市 昭和50年
石臼は、水引の糊を挽(ひ)くほかに、穀物を挽いて粉にした。
たち臼 上伊那郡飯島町七久保 昭和45年4月
餅などを搗く臼。臼の材はケヤキが最もよくミヅメ・トチの木も水に強くていい。臼は丈一尺八寸が搗きいい。
遠山の大枡 上村 昭和33年1月
枡は容量に狂いがないようにヒノキ・サワラなどを用いる。昔は枡は家々の必需品で、米びつをあけるとそこには五合枡や一升枡が入っていた。写真の枡はそれより大きく2升枡。縦6寸、横6寸、深さ3寸5分。
メンパ 駒ヶ根市
山の仕事にいくとき、お昼の弁当などを持っていくのによく使われるのがメンパである。これはメンツウ(面桶)、あるいはメンツということばと同意であって、「一人前ずつ飯を盛って配る曲物(まげもの)」という意味をもっている。信州の山民の多くが用いているメンパには、小判型のものと、円形のものとがある。
ワラの皿入れ 辰野町 昭和42年9月
皿を入れて倉などに保管した藁の入れもの。
スゴと湯樽 駒ケ根市東伊那 昭和43年7月
藁で作った運搬用具。
合わせメンパとスゴ 阿南町新野 昭和53年1月
曲げ物で円形の作り、一食分の飯をつめ、深い蓋の方へも飯をつめて二食分とするのを「合わせめんぱ」という。仕事に行くときはすかり(網袋)か簀(す)びくへいれてもつのが普通。
藁で作った輪手(わて) 高遠町長藤 昭和42年3月
水車で米をつく時に、米がまんべんなくつけるように杵の下に入れる枠。
山車(やまぐるま)・木馬(きんま) 高遠町 昭和45年
山から木材を出すのに使う。
ブドウつらぬき 辰野町小野飯沼 昭和37年8月
冬山で猟をするとき足の踵(かかと)につける。
木馬そり 阿南町新野 昭和53年1月
木材をつけ、馬にひかせる。
ブドウはばき 辰野町小野飯沼 昭和37年8月
山ブドウのツルの皮をはいだもので作った脚絆(きゃはん)。脛(すね)を保護する。
鎌 伊那市富県新山 昭和46年2月
木挽(こび)き道具 伊那市富県新山 昭和46年7月
筌(うけ) 中川村片桐 昭和33年4月
竹や柳を編んだ筒状の筌(うけ)を川にふせ、ふな・どじょう・わかさぎなど取ることは広く行われた。
しょいねこ 上伊那郡辰野町沢底 昭和43年5月
山へ行く時に鉈(なた)など道具や弁当を入れる。
腰ビク 下伊那郡松川町生田 昭和54年3月
テゴ(手篭)-物人れで、肩に掛けあるいは手に提げて運ぶ-テゴのたぐいには、竹を巧みに編んで作ったものが多い。
火燧(ひうち)がねと火口箱(ほくちばこ) 辰野町 昭和42年9月
皮箕 辰野町 昭和42年9月
木の生皮を剥いで作った箕。脱穀された穀物のちりを除くために上下にゆり動かし、風でちりだけをとばす。
鉄漿(おはぐろ)道具 伊那市 昭和36年3月
右より手鏡、鉄漿盥(おはぐろたらい)、鉄漿箪子(おはぐろたんす)。