ユイ(結)

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 「今年も、お田植えをユイでたのむよ」
 田植えは人出が多くいるので、家族だけの手間では仕事がほかどらず、あきあきしてしまう。そこで、近所とか一族とかいった親しい間柄の家と話し合って、お互いに仕事を助けあう。それがユイである。その家の田植えに家内総出くらいにして手助けに行き、そこがすむと、こんどは自分の田植えに、皆してきてもらう。こうして、大勢でにぎやかに働くことによって、苗取り、田植えという、腰を曲げての苦しい仕事をはかどらせることができるわけである。それに「五月女に秋男」ということばのように、この五月のシツケ(仕付け)時に、若い女のひとの田植えすることは、豊作への予祝になるという思いは深い。お隣りの若いご夫婦も加わって、みんなにぎやかに田植えする気持は、何とも楽しくうれしいもので、つい、田植え唄もでてくるというものである。
 秋のイネ刈りも、腰を曲げて刈りつづける仕事はつらいので、ユイにする。
 板葺き石置屋根は、一年置きくらいに屋根の葺き替えをする。これは、屋根板を全部剥いで、傷んだ屋根板をのけ、新しい屋根板も加えて、葺き直す仕事で、こうした入念な手入れをすることで、屋根石の下になったところのいたみをなくし、板のズレなどによる雨漏りを防ぐことができるわけで、ぜひ必要な手当てということになる。これは、よい天気を見定めて、手早くやらねばならないので、ユイにして、手間をそろえることが大切になってくるわけである。
 こうしてユイは、ムラ(村)という共同体の深いつながりのあらわれであるが、近年はすっかり変わった。田植えも機械植えとなり、ひろい田にエンジンの音をひびかせてひとりで植え、板葺き石置き屋根はトタン葺き、カラー鉄板葺き、瓦葺きとなって、屋根替の必要もなくなってきた。それに、山仕事、野良仕事にうちこんでいては食えなくなって勤めに出る。工場へ通う姿が多くなり、おのおの暮らしがちがってきて、ムラという共同体意識はすっかり薄れて、ユイの習わしもほとんど見られなくなってきている。
(昭和四十九年七月記『信濃路』九号掲載)