稲作

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米を主食とする日本人の食生活。その豊作を念じて苗代ごしらえを入念にし、田打ちをし、代搔(しろか)きをし、刈敷(かりしき)や青草を肥料として田へ踏み込み、代ごしらえをして田植え。その青田の田の草取に精出し、出揃った稲穂が二百十日の荒れに傷むのに心づかいする。秋も更けて稲刈り。その稲を扱き、臼挽きして玄米とし、俵につめてほっとして喜ぶ。
 近年は稲作も近代化し、大型の農機具で整地し、箱で育苗、機械植え、除草剤の使用、稲刈り・脱穀を機械ですませ、籾はライスセンターで処理、出荷するのが一般となってきた。
 
代(しろ)かきふませ 辰野町 昭和43年5月
苅敷は生のまま田へ広げ、フマセ(踏ませ)は二匹くらいの馬を回わす。
結(ゆい)にして馬を都合する。

 
あぜ塗り 阿智村 昭和50年5月
田のまわりの畦塗りには、マンノンガ・鍬・ジョレンなどが用いられた。

 
筋つけ 辰野町 昭和43年5月
細長い板へ1尺1寸間隔に径7寸5分の間隔のものを、直角に打ちつけたものをこしらえて、これで十文字にスジをつける。苗を植えるための筋。

 
あぜ固め 飯田市川路 昭和50年5月
畔塗りをするということはいよいよ田へ水を入れる用意。畔(あぜ)をまず削って、削ったあとを叩いて固め、泥で塗る。

 
苗取り 宮田村田中 昭和49年6月
 
苗取り 辰野町 昭和43年5月
苗代の苗を取りナエデワラでしばる。その苗把(なえたば)を竹篭に入れて田へ運ぶ。
(ナエデワラ=苗をゆわえる藁)

 
田植 辰野町 昭和43年5月
三角の枠の後、六角の枠ができ、その後すじ引きが出来た。

 
田植 伊那市富県貝沼 昭和44年5月
筋をつけて植える植え方で能率的である。

 
お茶休み 伊那市富県貝沼 昭和44年5月
農作業の一休み。きなこむすびなどを出した。