信州は昔から養蚕の盛んなところ。とくに生糸輸出が盛んになった明治・大正時代には大発展した。気候のよいところでは、春・夏・秋に五期も養蚕が行われ、桑畑は畑作の主要なものであった。蚕は掃き立てから四回の眠りがあり、四眠起きの五齢でヒキ(熟蚕)となる。これをマブシ(簇)に上げると繭を作る。繭かきをし、繭の毛羽をとり、出荷する。掃き立てから繭かきまで四十日ぐらい、その間は一家をあげて蚕飼いに集中する。製糸工場では生繭(なままゆ)を乾燥して貯え、その繭を煮て、生糸にとる。養蚕は盛んな時代、信州の主要産業であった。
くいこ拾い 伊那市富県下新山 昭和38年9月
蚕が五齢末期になって充分発育して体が透き通った時に、繭(まゆ)を作らせるために拾い集めて、簇(まぶし)に入れる作業。
上簇(じょうぞく) 伊那市西箕輪中条 昭和38年9月
左下:糸とり 辰野町 昭和43年12月
糸をとるにはマユを煮てクチタテホウキ(口たて箒)などで糸口をたて、それを枠へ巻いていく。
糸車 駒ケ根市東伊那 昭和43年7月
糸車は糸くりや糸を管に巻く時に使う大切な道具。綿の棒にすぎなかったヨリコが糸車によって撚(よ)りがかかった細い糸となって巻かれていく。
糸くり 伊那市富県新山 昭和42年10月
イロリの焚き火の明りが届く所へこの糸車を持ち出してきて、糸操り。弱くブーンブーンと響く単調な糸車の響き、左手の指先をいつも敏感に働かせていないと、糸にむらがでてきてしまう。
機織り 伊那市富県新山 昭和42年10月
糸の用意が出来ると経糸(たていと)を綜場(へば)へかけ、次に筬(おさ)通し、アスビかけとなる。この作業が終ると機(はた)へかけられる。
アスビをかける 伊那市新山 昭和42年10月
アスビをかけ終わると機織りが始まる。トントン、カラリと期待した縞が織り出されてくる。
機織道具 宮田村 昭和43年6月