地場産業

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江戸時代、伊那谷でも城下町飯田あるいは高遠を中心に商工業が発達するとともに、その地域に合った特産物が生まれ、それは地元はもとより遠く江戸、京都まで出荷されるようになり、その中には、今日地場産業となっているものが多い。
 
元結・水引つくり 飯田市 昭和40年1月
飯田市の周辺は古くから和紙生産の多いところだ。冬季は、乾燥した晴天の日が多いので和紙のこよりに糊付けして、日当りのよいところで乾かし、髪結い用の元結をつくることが古くから盛んであった。近年は髪型の変化から元結の需要が少なくなり主として祝い事に用いる。

 
元結・水引つくり 飯田市 昭和40年1月

 
元結・水引つくり 飯田市 昭和40年2月
金銀や紅白の水引が、贈り物の包装の上に結ばれて差し出される。婚礼の五品、九品などの結納の飾り水引。さては葬礼、仏事の供え物の黒白・青白・黄白また総白の水引の結び。それは日本人の器用な指先から生まれた芸術ともいうべきものである。線と色彩が生み出す模様は、実に多様。近年は古くからの伝統の上に、近代的な創作が加えられて、ますます多種多様になってきている。この水引細工の基本となる結びは「淡路結び」といわれる結び方でそのくりかえし、応用して、さらに梅結び、花結びなど多くの結びをもって、いろいろな形が作りだされる。これから基本的な形として、ツル、カメ、松、竹、梅、菊、桐、宝船、宝結びなど縁起のよいものの形が生まれ、この単純なものから複雑なものへ、それに色彩の組合せによって、いろいろな種類ができる。

 
元結・水引つくり 飯田市 昭和40年2月

 
紙干(ほ)し 伊那市美篶 昭和28年4月
楮(こうぞ)の皮をは剥いだものを庭先で大きな釜で煮ている。その後ろには、カミツケイタに張った、和紙が干してある。

 
楮(こうぞ)を洗う 伊那市美篶 昭和28年4月
紙の原料、楮の皮を剥いで漂白し、これを冷たい水で洗いながら黒いフシ(ごみ)を取り除く作業。

 
紙漉き
 カゾ(楮(こうぞ))の皮を剥いだものがクロカワ(黒皮)・クロカゾで、これを雪などで漂白し、外皮をとってシロカワ(白皮)・シロカゾにする。よく打って細かくくだき、細かいフシ(ごみ)をとり、フネに入れ、のりとよくかきあわせ簀(す)を使って紙に漉く。漉いた紙を重ねて水をとり、カミツケイタに張って干し、回りを裁(た)って仕上げる。
 
笠原紙 伊那市美篶 昭和33年3月
一番難しい紙漉きの作業。

 
お茶の手もみ 飯田市千代 昭和30年6月

 
お茶摘み 飯田市千代 昭和30年6月

 
新茶の荷 伊那市入舟 昭和44年5月
新茶の初荷が届いた店先。

 
茶畑 南信濃村 昭和52年1月

 
登り窯 伊那市美篶上川手 昭和28年4月
伊那市美篶の上川手の段丘を利川して、登(のぼ)り窯を築き、瓦を焼いている。

 
尾林焼の窯場 飯田市竜江尾林 昭和46年10月
350年以上も前から製造された陶磁器で、現在でも伝統の手法が受け継がれている。

 
葉タバコの乾燥 上伊那郡辰野町上野 昭和44年9月
収穫した煙草の葉を、一枚ずつ縄に編み込み乾燥する。今では考えられない家族中の忙しい仕事であった。