江戸時代の道は人馬の通行が中心で街道には、宿駅が置かれ、本陣は公用の宿泊、問屋は伝馬で公用の荷物を運搬した。街道に沿って一里塚があり、旅人のための旅篭(はたご)があった。百姓の作間嫁ぎにはじまった中馬は、塩・塩魚・綿などの移入、葉たばこなどの移出といった物資の交流に大きい力を発揮し、馬宿(うまやど)なども整っていった。
中馬追い 高遠町藤沢 昭和14年
馬追いは菅笠をかぶり、丈(たけ)の短い着物に股引をはき、手甲をつけ、脚絆(きゃはん)をあて草鞋ばき、胸当をかけ、三尺帯をしめ、この帯へ煙草入れ、早みち(巾着)、沓切鎌などをさす。寒くなると回合羽(まわしがっぱ)を着た。馬にはクツをはかせ夏には虻(あぶ)を防けるための首掛け、さんど掛け、腹掛けなどを掛け、歩くたびに嗚って元気が出るように鈴をつけた。荷鞍を背にのせ、この鞍に荷をつけて運ぶ米二俵を馬一匹につける。これらはおよそ32貫(約120kg)である。
米の運搬 伊那市平沢芝原
3斗2俵1駄
乗馬姿 伊那市西箕輪羽広 昭和33年5月
飾り鞍 高遠町藤沢荒町 昭和31年2月
花嫁や祝儀の荷物などをのせるときに使った。
荷馬車 辰野町 昭和43年10月
運送(荷馬車)で米俵を運ぶ。
山村の荷車は車輪の直径1尺6寸(約48.5cm)。車体の幅2尺(約60.6cm)長さ8尺3寸(約2.51m)ほどで、車体の後部は少し上へ屈曲していて、傾斜地を下るとき、地面を擦らぬように工夫されているものがある。一般に平地では車輪も車体も大きくなっている。
荷鞍 辰野町(炉端会) 昭和43年5月
荷鞍を背にのせ、この鞍に荷をつけて運ぶ。
辰野中学校郷土室 馬のくつ 上伊那郡辰野町 昭和42年9月
馬にはかせるわら製のくつ。馬の背に荷をつけて遠い道を運ばせると、そのつめ(ヒヅメ=蹄)をいためるので、この保護の為にワラで作ったくつをはかせた。わらじのように馬の足にあわせて作り、かなぐつ(蹄鉄)が普及してくるまで使われた。