新盆の家では高燈篭を立てたり、近くの寺などへ新仏の迎えに行ってきます。かんばの皮、また麻稈(おがら)、藁などで迎え火を焚いて仏様をお迎えいたします。
おじいさんも おばあさんも
この火でおいなはーれ
幼き者の声にまねかれ、門に焚くその火に乗って仏様が参られ、盆提灯の灯のゆるぎも心にしみます。十四日はごちそうの門火。
まんど まんど ごちそうまんど
そして送り火ともなれば、
おじいさんも おばあさんも
この火でおでやーれ
と仏を送ります。桔梗の紫と女郎花の黄とみそはぎの赤と、秋草の先がけの数々を盆花として供え、青萱を敷いた魂棚、お餅やうどん、油揚げの御馳走、胡瓜や茄子で作った牛や馬の供え物、子供が門口に小さいかまどを築いて甘茶をふるまうなど心ひかれます。
こうして招いた仏様の供養をして盆踊りが踊られます。古くは、村の人々は新盆の家をまわり、まず家ほめの唄、次いでとり唄といって新盆の主をしのぶ即興の唄をうたって、踊りを供養してあるきました。それが寺の庭や村の辻に新仏の位牌を祀って踊るようになり、村中うちつれて大輪をなす盆踊りとなったのであります。他郷に出ていた人も正月と盆には皆帰って来ます。皆がうちつれて踊る楽しさ。
盆にゃおいでよ 正月来でも 死んだ仏も盆にゃ来る
揃た揃たよ 踊り子が揃た 稲の出穂より なお揃た
みんないやなら 俺三人で 四角三角 蕎麦なりに
大輪になってうち交わり踊り明かすこの夜は、また若い男女にとって開放された楽しい夜でもあります。
扇子投げたがとどいたか主さ 骨は黒骨 かきつばた
踊りょ踊りゃこそお前のそばで
間にゃ見るばか 思うばか
盆と十五夜 闇ならよかろ
お手を引いたり 引かれたり
しっとりと夜露の置いた田の畦道づたいに、他村の若い衆も踊りにやって来ます。
他村若い衆はよく来てくれた
裾がぬれつら 豆の葉で
他村若い衆はよく来てくれた
踊りゃ終えても 帰しゃせぬ
素朴可憐愛すべきうちに、まことに意味深長なものがあります。この楽しい盆もまたたくまに過ぎてしまいます。
盆だ盆だと待つうちゃ盆だ 盆は今宵と明日ばかり
踊り踊るは今夜が限り 明日は鎌持って草刈りに
こうして惜しむ夜の踊りは、
四五人に月落ちかかる踊かな 蕪村
の如く踊り明かすことになりましょう。そしてまた忙しい、元気で激しい労働につく若者、盆踊りはまことに生身の者への供養でもあったのであります。
(昭和二十四年七月十三日松本放送局より放送『あしなか』第十八号掲載)