小正月とは一月十四・十五日を中心とした行事。古くは月のみちかけによって月日をはかっていたので、望の日である十五日が区切りと考えられていたであろうと思われる。一月十五日はまさに新年の開始ともいえる。のち中国から暦術が輸入されたことによって、しだいに朔日(ついたち)が正月として祝われるようになり、この日が大正月と呼ばれ、旧来の十五日正月が小正月と呼ばれるようになった。
餅搗き 上伊那郡飯島町鳥井原 昭和52年1月
12月23日から30日頃までの間にすませる。
29日は苦餅といってきらう。
初めの一臼から神に供えるお供え餅をとり、あとは裁(た)ち餅などを搗く。
年神様 飯島町鳥居原 昭和52年1月
正月の門飾り 阿南町 昭和53年1月
正月の飾り 阿南町新野 昭和53年1月
正月の飾り 阿南町新野 昭和53年1月
ニュウギ(新木) 阿南町新野 昭和51年1月
ホンダレムカエ・初山・仕事初めともいう。1月11日ころ、初めての山仕事を兼ねて、小正月の物作りの木を切りに山へいく。米・餅、あるいは酒・塩をもっていき供え、紙で幣を作って山の神を拝み、薪(たきぎ)にぬるで・柳・みずふさなどを切ってくる。これを「ホンダレサマをはやしてくる」という。
小正月の門飾り 昭和52年1月
門口に薪を集めて立て、それに松や竹を立てる。
道具の正月 辰野町 昭和43年1月
1月13日はお百姓の正月といわれる小正月の始まりで、農家では小正月を道具の正月といい、農具を集め、それにお供え餅を供え、今年の豊作を祈ってお祭りをした。
小正月の供物 昭和52年1月
農具と稲穂やまゆ玉とともに柳の箸もそなえる。
小正月の供物 天龍村 昭和42年1月
右
小正月の飾り 上伊那郡辰野町伊那富新町 昭和38年1月
下左
小正月の飾り 上伊那郡辰野町伊那富新町 昭和38年1月
下右
小正月の飾り 上伊那郡辰野町伊那富新町 昭和38年1月
繭玉づくり 上伊那郡飯島町鳥井原 昭和52年1月
小正月に米の粉を熱湯でこねて、そのあと茹で小さくとって繭玉を作る。繭玉を、ソヨゴの木につけて蚕玉(こだま)さまを祀り、柳の枝につけて、神棚に供える。昔は木綿玉だったのが繭玉に変ったところ、また、柿を作るところもある。
小正月の飾り 辰野町 昭和43年1月
小正月に繭玉をかざる時、巾着(きんちゃく)、福槌、小判その他様々の形の物を作り、ミズブサの枝にさしてオオエの天井に飾った。
繭玉かざり 宮田村新田 昭和54年1月
石臼を置き、その穴ヘソヨゴ・柳などの大きい木をさしてたて、枝先に米の粉をこねて作った大小の繭玉を沢山さして飾る。
ものづくり 宮田村新田 昭和54年1月
稲穂(いなほ)。竹を割りその先に短冊型に切った餅をさして吊り下げて飾る。そばの花といってジシャ(エゴノキ)の茂った枝に小さく切った餅花をつけて一緒に飾る。
ドンド焼き 飯島町 昭和52年1月
正月の15日は山から木を切ってきてそれを芯にし、松かざりの松や、シメで道陸神(どうろくじん)の近くに小屋がけをして一晩そこにお篭もりをし、翌16日、これに火をかけて焼く。この火で物作りの繭玉や餅を焼いて食べると風邪をひかぬという。
なりづもくいじめ 宮田村新田
1月15日朝、あずき粥をもっていき、柿などの成り木(ナリヅモク)に一人が鉈(なた)で傷をつけ「成りそか、切りそか」という。そのあとで、「なります、なります」ともう一人が粥をかけていく。