民間信仰

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マチ・ムラといった地域社会で、平凡な日常生活を送っている多くの民衆の間で培われ、育てられたのが、民間信仰で、宗教宗派の枠をこえて、共同体全体で行うものが多く、その土地ならではの豊かな行事がある。
 
山の神への供物 辰野町宮木 昭和35年12月
山働きの人は山の神祭りをする。
山の神は山の口などに祀られているのが多い。10月10日は十日夜(トウカンヤ)で、田の神さまが山へ帰って、来春2月8日まで山を守ってくれる神さまになる日である。この時、お餅をつとに入れて供える。また、藁で草鞋(わらじ)、ウマノクツ、草履、鎌、ヨキ、鉈など作って供えるところもある。

 
左:仁王門のワラジ 駒ヶ根市光前寺 昭和36年7月
願かけ、お礼詣りなどに、仁王門にワラジを供えた。

 
軒にかざる魔よけ 高遠町藤沢 昭和55年

 
道祖神祭り 上伊那郡辰野町伊那富羽場 昭和38年1月
道祖神は村境や辻などに祀られ、文字碑や男女の双立神像などが多い。
悪い病など村に入るのを防いだり、旅行く人を守る神、縁結び、夫婦に子供を授ける神、また、いぼ・疱瘡・おこり等をなおしたり、厄年の厄落としの神でもあった。
1月15日か16日に、子供たちが中心になって道祖神の前で、正月の門松やしめ飾りを集め高く積み、火をつけて焼く習慣がある。

 
えびす様 飯田市松尾 昭和38年6月
えびすさまは福の神で農家にとって作神(さくがみ)、田の神であり、商家にとっては商いの神である。正月の3日はえびすさまの日で神棚に太いしめ縄を張る。これをフクナワ(福縄)とよび、太くて鯛の形をしているのでタイとよぶところもある。

 
道祖神 宮田村 昭和38年9月
道祖神は文字碑や男女の像の双立神像などが多い。陽石、陰石、丸い石、あるいは石祠、木祠などわずかに見られる。

 
石仏 長谷村浦(うら) 昭和50年3月
雨降れば雨にぬれ、風吹けば風にさらされている、野ざらしの石神、石仏。この身近な神や仏に祈りを込めて人の世の幸せを祈ったひとびと。

 
石神石碑キリエ 下伊那郡天龍村神原 昭和51年1月

 
一村一基の納骨場所 清内路村 昭和50年10月
上清内路には個人の墓はない。南無阿弥陀仏という塔が立っていて、うしろに深い墓穴が掘ってある。昔から全部火葬で村中そこへ埋めてしまう。下清内路のほうは半分くらいがそうであり、半分くらいは個人のお墓がある。

 
先祖まつり 長谷村浦 昭和50年3月
平家落人の伝説のある小松氏一族の先柤まつり。赤幡(はた)の吹き流しが飾られる。

 
庚申塔建立 南箕輪村北殿 昭和55年4月
庚申塔を引いているようす。庚申塔は60年毎に建立するならわし。

 
カヤで囲った庚申塔 上伊那郡箕輪町東箕輪 昭和41年2月
60年目毎にめぐってくる庚申年に庚申塔を村の辻に建て、村中の安穏を祈る。

 
お乳の願かけ 大鹿村鹿塩

 
天神の社にあげられた古いひなやダルマ 宮田村田中 昭和41年5月

 
わら馬 長谷村
2月8日に供えるものをワラ馬にのせて、道祖神にお参りし、先に供えてあるものと交換してくる習わしがある。

 
エビス様のタイ 宮田村 昭和43年12月
えびす様は福の神で農家にとっては作神、田の神であり、商家にとっては商いの神である。

 
祝殿(いわいでん)のまつり 長野市戸隠 昭和44年2月
祝殿には屋敷の地主神と同族の守護神という二つの性格がある。正月をはじめとして祭りの日には供え物をし、年に一度、袮宜を招き、近親や近隣を迎えてささやかな祭りをする。

 
お宮詣り 上伊那郡辰野町上野 昭和44年9月
男は32日目、女は33日目に宮詣りをする。
鉄漿親(かねおや)、名つけ親、その他伯叔母(おば)、そして里の親などを招く。お宮へは鉄漿親(かねおや)が背負って行く所もあり、両親のある女の子が背負って行く所もある。着せて行く着物は里からくれたものを着せて行く。お宮へはお洗米・麻・真綿・扇子・御神酒を持っていって供える。お宮に着くとお宮の縁に子供を一人で寝かせておいて、他の者はお詣りする。その間に子供が泣けばよし、もし泣かないと無理に泣かせる。川島ではその泣声が大きいと良いといい、お詣りして供えた赤飯や肴やお酒を下げてそこで頂き祝う。帰りは背負わず抱いて帰る。