厳寒の満州の駐屯地、そこの兵舎のベッドに毛布にくるまって寝ている。一日の疲れでぐっすり眠っていた自分が、夜中に、ふと笛の音に目を覚まされた。オヤッと思い、じっと耳をすましていると、祭の笛の音が聞こえてくるではないか。その笛にあわせて太鼓の音もする。おお、こりゃ雪まつりのはやしだ。その笛太鼓にあわせて舞人の扱うビンザサラの、シャッシャッといった歯切れのいい音さえも聞こえてくる。……はて、ふしぎだ。こんな夜ふけに、なんでそんな音がするのだと、不審に堪えない。しかし、何としてもそれが聞こえてくる。
あまりのふしぎさに、隣りのベッドの友人をゆり起こして、ほかの人たちに聞こえないように、そっと「今、祭りのはやしが聞こえてくるが、お前、聞こえるか」と聞いてみると、けげんな顔してしばらく耳をすませていたが、「何も聞こえやしないぞ、お前の耳のせいだ」といって、黙って寝こんでしまった。けれど、聞こえてくる。祭りの、いろんなはやしが、笛太鼓が……。今日は一月の十四日、雪まつりの夜だ。村のひとびとは、その祭りのはやしに酔ったように、夜どおし、「さいほう」「もどき」「きょうまん」「天狗」などといろいろな演技を舞、踊り、ざわめいているのだ。その祭りばやしが、俺のところまで届いてきたのだ。と思って眼をつむって聞いているうちに、いつか深い眠りにおちていってしまった。
こんなことは、夏の盆踊りのころにもあった。八月の十四日、十五、十六日は、この新野(にいの)の盆踊り。そんな晩には、ふしぎと、その盆踊りの歌が聞こえてくる。 「高い山」の何か調子の身にせまるようなふしまわし、「おやま」のゆったりした調子、そのゆったりとした扇を持った手さばきも見えるようだ。はげしい「能登」のうたごえ。……それらが手にとるように聞こえてくる。……
こりゃあ、おれの耳のせいばかりじゃあねえ。子供のころから親しんできた祭りの笛太鼓のはやし、盆踊りのうたと踊り。それがおれのこころにしみついているから、その時期になるとよみがえってきて、身のうちから、響いてくるのだ……と思うようになった。
おれは軍隊に七年もいたが、こんなことが何度かあった。人は生まれ育ったところのものは、心底にしみこんでいるんだなあ。
右、昭和五十七年一月十四日夜、下伊那郡阿南町新野の雪まつりの庁屋での話。
(昭和五十七年一月十六日夜記『続々山ぶどう』)