和合の念仏踊り
下伊那郡阿南町和合地区の七月十三日~十七日の盆踊り(現在は八月の同日)。十三日夜、熊野神社で切り子灯篭・南無阿弥陀仏の旗・ささら・ヒッチキ棒、行列の中心になる締め太鼓・鉦(かね)・奴・花・柳がそろい「庭入り」のひと踊り、「念仏」「庭誉め」のひと踊り。次に村開発の大屋で踊り、進んで林松寺で踊る。ここでは仏のための和讃をとなえる。十四・十五日は新盆の仏のための念仏、十六日は寺から大家と進み、熊野神社で終わる。いずれも行列のあと盆踊りがある。こうして行列を組んで踊るのは「盆の風流」などと呼ばれ、戦国のころからのもの。その風流行列のなごりをのこすこの念仏踊りは、盆踊りの古色を示すものといえる。長野県無形民俗文化財に指定。
和合の念仏踊り 阿南町 昭和33年7月
鎮守である熊野社での庭入り。
和合の念仏踊り 阿南町 昭和33年7月
林松寺での庭入り。
この日は堂の中で行われた。
向方のかけおどり 天龍村神原向方 昭和34年8月
向方のかけおどり 天龍村神原向方 昭和34年8月
向方長松寺のかけ踊り
かけ踊りは盆踊りの古い形といわれる。大燈篭を先頭に長松寺の庭にて、庭ほめ踊り-蚊払踊り-念仏踊り-引踊りを踊り十王堂に戻って踊りが終わる。
遠山上町の送り念仏
新盆の家へ町の人たちが打ち揃って念仏をあげにいく。音頭取り一人、鉦(かね)を叩く人が一人、つき人ほかの人たちはこれに従う。音頭取りは羽織を着、南無阿弥陀仏と書いた菅笠をかぶり、手に扇を持つ。
送り念仏 下伊那郡天龍村神原坂部 昭和33年8月
新盆の供養 上村上町 昭和33年8月
新盆の家では村人の心のこもった供養をうけて、いよいよ仏様もこの家を発っていくのかという感慨になる。
新野(にいの)の盆踊り
下伊那郡阿南町新野。八月十四日から町の市神様にたつ踊り屋台を中心にし、音頭取りの唄声につれて、人々は道なりの長い輪になって踊り明かす。力強い手踊りの「高い山」「十六」、扇を使って優雅な「すくいさ」「おさま」「音頭」「おやま」などの曲が踊られる。そして十六日の夜を踊り明かして十七日の朝明け、踊り神送りとなる前のしばらくは「能登」を踊る。やがて、踊り屋台のほとりに飾ってあった新盆の切子燈篭を村境で焼いて踊り神を送り、「秋歌」をうたって帰る。これで来年の盆までは盆踊りの唄も踊りも全くしない。
盆踊りは新盆のみたまを迎え、それを慰めるため村人がともに踊るもの。その心が各地に生きているのはうれしい。また、各地に伝わる古い民謡が、盆踊りにうたい継がれていることも心ひかれることである。
新野の盆踊り 阿南町 昭和30年8月
盆踊りは「すくいさ」で始められ、以後6種類の踊りが音頭取りによって朝までくり返される。
新野の盆踊り 阿南町 昭和29年8月
町の中心。市神様にたつ踊り屋台。
新野の盆踊り 阿南町 昭和29年8月
17日、東の空が明るくなる頃、新盆の家から持ち寄られた切子灯篭を先頭に鉦や太鼓で囃しながら、踊り神送りの行列が行われる。
新野の盆踊り 阿南町 昭和29年8月
踊り神送りの最後、ジョウドにおいて切子灯篭を積み重ね、道切りの式が行われ、火がつけられる。
深見の盆踊り
阿南町深見地区では、かつて寺などで盆踊りとして、深見やんさ・源吾兵衛踊りなど特殊な盆踊りが行われていたが、現在は行われていない。
盆踊り 下伊那郡阿南町東條深見 昭和33年7月
深見やんさの一節
〽やんさ踊りは今始まるにばばさでて見よヤンサ孫だいて
孫だいてドッコイ孫だいてばばさどこゆく孫だいて
〽一夜一夜に枕がかわる変る枕をヤンサ定めたい
絵島踊り
上村上町で行われているもので、歴史が語る絵島生島物語のごとく唄や踊りが伝えられている。この「絵島踊り」は盆の十四日から十六日まで盆踊りが行われるが、古い形態である手踊りの「ノーサー」「横婆」「おん岳やま」などとともに踊られる。
上町の絵島踊り 上村 昭和33年9月
〽絵島故こそ門に立ちくらす
見せてたもれよ面影を
〽かりが渡るに出てみよ絵島
今日は便りが来はせぬか