WEB版デジタル伊能図ユーザーズガイド

1.はじめに目次へ

本サイト「WEB版デジタル伊能図」は、株式会社河出書房新社と東京カートグラフィック株式会社が共同制作した「デジタル伊能図」(DVD版)」*を元に、伊能忠敬没後200年を記念してインターネットを介し利用できるようにしたものです。本商品は、約200年前に伊能忠敬が全国を測量して作成した伊能大図などを元に測線、地名、測量日記、そして地図画像そのものをGISで利用できるようにデータ化したものです。

以下の説明については、「デジタル伊能図」(DVD版)に収載の「デジタル伊能図ユーザーズガイド ver1.0」より関連する部分を引用し、WEB版と異なる部分は省略、または補足し、再編集を行ったものです。基本的に「デジタル伊能図」という名称を用い、差異がある部分については、それぞれWEB版・DVD版と表記しています。

2.「伊能図」について目次へ

伊能図の基本図「伊能大図」は1800年(寛政12年)の第1次測量から1816年(文化13年)の第10次測量までの成果をもとに制作され、その編集図である「中図」と「小図」を併せて、1821年(文政4年)に「大日本沿海輿地全図」として幕府に上呈されました。その後正本はすべて焼失してしまい、各種の写図のみが残されていましたが、2001年にアメリカ議会図書館で207枚の「伊能大図」の模写図が発見されました。本商品は、この「アメリカ大図」を基本的に使用し、彩色その他の加工を施さない原図データを用いています。

3.伊能忠敬略年譜目次へ

  1. 1745年現千葉県山武郡九十九里町で出生。
  2. 1762年現千葉県香取市の商家の伊能家に婿入り(17歳)。
  3. 1794年家督を長男景敬に譲って隠居(49歳)。
  4. 1795年江戸に出て天文・暦学を志し、19歳年下の幕府天文方・高橋至時に入門(50歳)。
  5. 1800年第1次測量に出発(1816年まで1次~10次、17年で日本全国を測量)(55歳)。
  6. 1818年死去(73歳)。
  7. 1821年「大日本沿海輿地全図」完成、幕府へ上呈。
  8. 2018年伊能忠敬没後200年。

4.「デジタル伊能図」の概要目次へ

伊能図の基本図である大図(1:36,000)214枚に「江戸府内図」2枚を加えて、216枚を完全デジタル化して、現代の「地理院地図」とリンクさせたのが本商品です。
本商品は、地理情報システムGIS(Geographic Information System)を駆使して、伊能図を「地理院地図」と重ね合わせて比較できるようにし、さまざまな地理的な対象を分析できるようになっています。

5.「デジタル伊能図」の内容目次へ

「デジタル伊能図」は以下のデータで構成されています。

  1. 伊能大図の測線(海岸線や街道を測量した線)を、地理院地図に合わせてデジタル化(ベクターデータ)。
  2. 伊能大図の宿泊地を、地理院地図を背景にしてデジタル化(ベクターデータ)。
  3. 伊能大図の全地名(村名・郡名・国名・寺社名・城郭・自然地名)を、地理院地図を背景にしてデジタル化。ローマ字付き。
  4. 「測量日記」(書き下し)を宿泊地と時系列にリンク。原典画像と書き下しを全文掲載。
  5. 伊能図(大図全214図と江戸府内図2図)(ラスターデータ)。
  6. 伊能図を地理院地図に合わせて補正した「補正伊能図」(ラスターデータ)。

6.「デジタル伊能図」の特徴目次へ

地理情報システムGIS(Geographic Information System)*を駆使して、以下4つのことを実現しています。

  1. 伊能図と地理院地図を重ねて比較することができます。
  2. 伊能図の研究に欠かせない位置情報が確定されています。
  3. 地名がローマ字とともに網羅的にデータ化されています。
  4. 地理空間情報を補完する「測量日記」がデータ化されています。

7.「デジタル伊能図」の利用例目次へ

伊能図は、海岸線・街道、町村、行政、地名、崖等の地形、山・河川・湖沼の情報、測量日記による記述などによって全国統一の基準で作られていまする。従って現代においても、歴史地理学以外に、建築、土木・測量、環境、防災、郷土史・地方創生、都市計画、都市工学、産業学、行政など多岐にわたりご利用いただけるものと考えます。

<想定利用例>

  1. 海岸線の変化(埋立/隆起/沈降)⇒港湾/交通/環境/防災
  2. 自然地形の変化(山系/河川流路)⇒土木/開発/環境。
  3. 街道と現在の主要道の変化⇒交通/物流/地形/土木/都市工学
  4. 町村名と規模の変化(人口移動/行政)⇒経済/産業/政治
  5. 荘園絵図や国絵図、藩図、明治の迅速図、地理院地形図などとの比較や組み合わせ
  6. 古文書などから全く別の文字や数値や画像情報を加えたり、重ねたりする

8.「デジタル伊能図」のデータ構築にあたって目次へ

本商品の基本データは、約200年前に伊能忠敬と伊能測量隊によって作成された3種類の伊能図の中で、「伊能大図」(全国を214枚でカバーした最も詳しい大縮尺図)に描かれている測線(海岸線や街道の測量線)を、GIS の技術を用いて現在の「地理院地図」上に再現したものです。

伊能図の精度は、それ以前の地図とは比較にならないほど高いですが、実際は、1:36,000 の伊能大図を「地理院地図」と重ねても、ぴったりと合わせることはできません。その原因は 1.「地図投影法の問題」、2.「経度の誤差」(天体観測で補正しやすかった緯度に比べ、経度の補正は難しかった)、3. 「測量技術の未発達」(当時の測量機器や作業内容など)によるものと思われます。ちなみに第1次測量から第10次測量のうち前半の精度は比較的低く、後半になるほど精度が高くなっています。

こうして、結果的に測量精度は地域や図ごとにばらつきが生まれ、図どうしの接合部や河川付近でのズレも多く見られます。1本の測線でも途中で急にずれたり、明らかな距離や角度の間違いと思われる箇所も多く見られました。とくに海岸線については細かく測量をした場所や簡略化した場所のばらつきが多く見られました。以上のような状況を総合的に判断し、下記の方法でデジタル化の編集作業を行いました。

まず、コンパクト GIS ソフト「地図太郎 PLUS」を用いて、「地理院地図」の画像に「伊能大図」の画像を重ね合わせ、「伊能大図」の測線を「地理院地図」上に写し取っていきます。伊能忠敬は距離と角度を測りながら測量する導線法を用いたことを踏まえ、「地図太郎」の画像位置合わせ機能のなかにある、距離の誤差を合わせるには「拡大・縮小機能」、角度の誤差を合わせるには「回転機能」を用いて、編集作業を行いました。具体的には以下のようなプロセスで行いました。

  1. 「伊能大図」と「地理院地図」を重ね、「透過機能」を用いて透明度を調整し、両方とも見やすいように設定しました。
  2. 「伊能大図」の測線の交差部、屈曲部、河川の位置、地名のある場所等をコントロール・ポイントに設定し、それを「地理院地図」の各部分で合わせながら、移動・変形、拡大・縮小、回転機能を用いて、「地理院地図」に写し込みました。
  3. 「地理院地図」で疑いの余地なく明確に判断できた内陸部の街道などの測線を実線、「地理院地図」では存在していないか明確に確認できない測線は破線としました。海岸線については「伊能図」と「地理院地図」に変化が見られない測線は実線で、埋立てや地形の変化などで現状と異なる測線は破線としました。このようにソフトウェア上で線種を区別しながら取得作業を行いました。

各々の地物の取得に当たり決めた手法及び基準は、以下の通りです。

(1)測線について(200年前の海岸線含む)

伊能図と地理院地図の重ね合わせに関しては先に述べたとおりのプロセスに従い、測線を取得していきました。データ作成当初は電子国土(旧ウォッちず)の道路に合わせて取得していましたが、国土地理院のインターネット閲覧地図サービスが地理院地図に変わり、ズレが生じたため、線形の取得し直しを行いました。以前は 1/25000レベルで作成された電子国土(旧ウォッちず)で線形を取得していましたが、地理院地図に変わることにより、1/2500レベルに高精度化したため、以前は符合しなかった測線が符合するようになった箇所も多々あります。測線の線形取得は電子国土(旧ウォッちず)と地理院地図を比較しながら、地理院地図の道路の中心に測線を動かしていきました。そして線形を取得する際には、以下のような基準で区別をしながら線形を取得しました。

事例
測量した街道(現在も残っている街道)
取得方法
地理院地図の道路の中心に合わせて線形を取得。
事例
測量した街道(現在は残っていない街道)
取得方法
伊能図の形状に合わせて線形を取得(ただし、伊能図のずれが明らかな場合、線形を修正した)。
事例
測量した街道(確定できない街道)
取得方法
伊能図と地理院地図の形状が極めて異なるため、伊能図に合わせて線形を取得。
事例
測量した海岸線(現在とほぼ同じ海岸線)
取得方法
伊能図の測線が地理院地図とほぼ同一と確認できるものについて、地理院地図の海岸線に合わせて線形を取得(岩礁や砂浜などの自然地形や護岸されていても、あまり変化の無い海岸線を含む)。
事例
河口線
取得方法
大きな河口部で測線と測線の切れ目を直線で繋ぎ取得。
事例
測量した海岸線(埋立等で変化した海岸線)
取得方法
伊能図の測線が埋め立てや護岸工事により明らかに変化した海岸線。伊能図の形に合わせて線形を取得(ただし、地理院地図上の道路・水路・植生界等が伊能図の海岸線と判断できた場合はその場所に取得した)。
事例
海上引縄測量した箇所
取得方法
引き縄測量した部分は伊能図の形状に合わせて線形を取得するが、引き縄測量した線の内側の測量していない海岸線は地理院地図に合わせて線形を取得。北海道の石狩川の測線も含む。伊能図画像地理院地図
事例
伊能図で明らかに省略して描かれた海岸線
取得方法
伊能図で複雑な地形を省略して描かれている海岸線。実際の海岸線は地理院地図に合わせて線形を取得。
事例
渡船
取得方法
伊能図には描かれていない線。資料を元に 2地点間を任意に結んでいる。
事例
測量していない海岸線
取得方法
伊能図で実際に測量した朱色の測線ではなく、見通しで描かれた黒色の海岸線(地理院地図に合わせて線形を取得するが、埋め立てや護岸工事により明らかに変化している海岸線は伊能図の形に合わせて線形を取得)。
  • 164 番「呉・今治」の図には海岸線のみが描かれており、内陸部の測線がないため、伊能中図の中国四国に描かれている測線からデータ化を行いました。
  • 北海道の伊能図について最近「間宮林蔵の測量によるものである」との発表がありましたが、1次測量のルートは全て伊能忠敬が測量した線として表示しています。
  • 毎次測量は江戸から出立していますが、江戸府内においてはルートが確認できていないため、千住、板橋、品川などから測線は表示しています。
  • 伊能図には河川や河口部が細かく描かれている地域もありますが、すべてをデータ化しているものではありません。

(2)宿泊地について

宿泊地データの作成にあたっては、伊能大図上に記載されている地名や記号化されている宿駅、天測点、港と資料の一つ「伊能忠敬の足跡―伊能忠敬銅像建立報告書」に記載されている宿泊地名や宿泊提供者名を手掛かりにして位置の確認を行いました。宿泊先になっていた場所が寺社の場合は、残っているものもあり、当時から移動していないことが確認できれば、現在の所在地でポイントデータ化しました。※図1
一方で手掛かりとなるものがない場合は、伊能大図に表記されている地名や☆の付近で測線に近い位置へポイントデータ化しました。※図2
宿泊地や宿泊日等の属性情報は先に示した資料を元に入力を行いました。

図1
図 1)手掛かりとなる寺院が現在していた場合
図2
図 2)手掛かりがなく、測線の脇にデータ化した場合

※ 図 1)、図 2)に用いられている画像はDVD版に含まれるデータ作成過程を説明するためのものです。「WEB版デジタル伊能図」の画像ではありません。

なお、第2 次測量の旧暦1801年6月7日から18日の間、測量隊は江戸に数日滞在をしており、その際の宿泊地としてデータ化していません。また、宿泊地のポイントは「伊能忠敬の足跡―伊能忠敬銅像建立報告書」を元にデータ化したため、測量日記では本隊・支隊の区分けがされていても、宿泊地のポイントデータでは本体・支隊の対応がとれていない場合や片方しかデータ化されていない場合もあります。

(3)地名について

(3-1)伊能大図

伊能大図の地名データは、図面単位で14種別にわけてテキスト化したデータに対して、地理院地図でその地名を探し、ポイントデータを取得しました。そして、種別毎に以下のようなポイント取得の基準を設けました。

①町村名は、基本的には伊能図と同じ町村名(市町村名)を地理院地図から探して点を取得しました。地理院地図に町村名がない場合は、伊能図の地名の近くに置くこととしました。伊能図の居住地名と地理院地図の居住地名が離れている場合は、以下のような判断基準を設けました。

事例ポイントの取得位置
黒抹(コクマツ)家屋あり黒抹家屋付近
黒抹家屋なし町村名の付近
黒抹家屋・字名なし伊能図の町村名近くの測線・海岸線付近

②○○国・○○郡 は、以下のような判断基準を設けました。

事例ポイントの取得位置
行政界がある行政界を境
行政界はないが川が間に流れている川を境
行政界も川もない伊能図の地名近くの測線・海岸線付近

③河川・湖沼関係名は、伊能図上で水部の描画されている中に取得しました。河川は測線・海岸線 (河口)付近で取得しました。名称が同一の河川名であれば、周辺の村との位置関係が多少ずれても伊能図の場所のままで取得しました

④坂・峠は、取得された測線の上もしくはその付近で取得しました。 山の場合は、地理院地図で確認できれば頂上付近、確認できなければ伊能図上の山名付近で取得しました。島は伊能図で現在の位置とずれていても、現在の地理院地図の島の中に取得しました。

⑤岬・崎・鼻なども地理院地図に合わせて陸上で取得しました。

⑥ 城(居城、在所など)は、町村名も兼ねた形でデータベース化作成されているため。城の真位置ではなく、町村名が採用されている場所で取得しました。

なお、伊能大図の地名データに表示されている図面番号は各地名が元々はどの図面にあったかを示すもので、今回のデータの取得に当たり本来あった図面とは違う図面にデータ化されている場合もあります。

(3-2)江戸府内図

江戸府内図には大名屋敷名をはじめ人名・施設名・社寺名・町村名・河川名など多くの文字が表記されていますが、今回は居住地名にあたる地名のみをデータ化しています。そして、居住地名にあたる地名で「~町目」となるような表記は図のように1つにまとめました。

江戸府内図地名のポイントを取得する際の基準

地名のポイントを取得する際の基準は、次のとおりです。文字が描かれている場所の中心ではなく、測線の近くで取得しました。村名などは、注記に対応する家屋の絵などが描画されていればそこで取得しました。ただし、それも優先順位としては測線の近くで取得しました。また、すでに伊能大図第90図で取得されている場合は、第90図で取得された同位置に取得しました。名称が多少第90図と食い違っていても入力されている名称のままにしました。複数ある場合は、全体の中心にポイントを置きましたが、分散している場合は、リストの上位の方で取得しました。

(4)伊能大図および江戸府内図の幾何補正について

画像の幾何補正は、地理院地図を背景にして取得しました。測線(ベクトルデータ)と各地図画像とで位置合わせを行いました。本来であれば画像どうしで位置合わせを行いますが、伊能図は均一に歪んでいるわけではないため、位置合わせを行うのが極めて困難でした。そこで、すでに調整を行って取得した測線を元に位置合わせを行いました。位置合わせをするためのコントロールポイント(GCP)は、特徴的な測線の屈曲部や交差部そして地形の形状などを採用しました。取得する GCPの数は位置合わせをするポイントの少ない内陸部の図面で50所程度、島嶼の含まれる図面では最大で200か所以上取得したものもあります。図面の歪み具合をみながら、ポイントを取得する場所の調整を行いました。そして、幾何補正の手法としては三角分割を採用しました。

図1
図 1)伊能大図にポイントを取得した状況
図2
図 2)三角分割を行い伊能図が歪んだ状況

※ 「(1)測線について(200 年前の海岸線含む)」から「(4)伊能大図、および江戸府内図の幾何補正について」までの説明中に用いられている画像は、DVD版に含まれるデータ作成過程を説明するためのものであり、「WEB版デジタル伊能図」の画像ではありません。

(5)伊能大図および江戸府内図(正図)について

幾何補正を行っていない元の図です。

(6)伊能図図枠および江戸府内図図枠について

幾何補正された画像の四隅の値からプログラム処理で図枠を作成しています。よって図面間の重なりも発生しています。そして、図枠データには図面番号と図名の属性を入力しています。

(7)「WEB版デジタル伊能図」におけるデータ利用について

「WEB版デジタル伊能図」においては、DVD版に含まれるシェープファイルや画像ファイルなどのデータをwebブラウザで閲覧できるように変換し利用しています。

  • 図枠については、シェープファイルをGISソフトであるQGISを使用してGeoJSON形式のデータに変換しました。
  • 測線、200年前の海岸線、宿泊地、地名については、それぞれのシェープファイルを、GISソフトであるQGISを使用してGeoJSONファイルに変換しました。さらにtippecanoeというツールを使用しGeoJSONファイルをバイナリベクトルタイル化しました。
  • 伊能大図補正図、江戸府内図補正図については、それぞれの画像ファイルとワールドファイルを、GISソフトであるQGISを使用して地図タイル化しました。これらのデータを利用し、webブラウザに表示するためのビューアを作成しました。ビューアを作成するにあたり、オープンソースライブラリであるOpenlayersを利用しました。

9.測量日記について目次へ

(1)「伊能忠敬測量日記」の内容

「測量日記」の統一した表題は、昭和27年22月に、装丁を修理した際につけられたもので、清書本 28 冊には「寛政十二年庚申、蝦夷于役志」とか「享和元辛酉歳、沿海日記 完」などと、それぞれに原題がついています。測量回数、表題、原題と巻別内容は一覧表の通りです。

忠敬は全部で9回の遠国測量と2回の江戸府内測量をおこないましたが、本稿は第9次までの遠国測量の日記を収録しています。第5次測量帰着以後の江戸滞在部分は掲載していません。

表題原題名日記内容本書表題
測量日記之内一 蝦夷干役志、啓行策略 完 蝦夷御用集録 第一次測量(蝦夷地)幕府折衝編
測量日記之内二 沿海日記、啓行策略、 全 御用留日記 第二次測量(本州東海岸)幕府折衝編
測量日記之内三 寛政十二年庚申、蝦夷手役志 寛政12年閏4月19日~寛政12年10月28日 第一次測量
測量日記四 享和元辛酉歳、沿海日記、完 享和元年4月1日~享和元年12月7日 第二次測量
測量日記五 享和二壬戌歳、沿海日記 享和2年6月3日~享和2年10月23日 第三次測量
測量日記六 享和三癸亥歳、沿海日記、上 享和3年2月12日~享和3年7月4日 第四次測量
測量日記七 享和三癸亥歳、沿海日記、下 享和3年7月4日~享和3年10月12日 第四次測量
測量日記八 乙丑丙寅、沿海日記、元 文化2年2月25日~文化2年8月12日 第五次測量
測量日記九 乙丑丙寅、沿海日記、享 文化2年8月13日~文化3年2月3日 第五次測量
測量日記十 乙丑丙寅、沿海日記、利 文化3年2月4日~文化3年6月6日 第五次測量
測量日記十一 乙丑丙寅、沿海日記、貞 文化3年6月7日~文化3年11月20日 第五次測量
測量日記十二 戊辰、沿海日記、上 文化5年1月25日~文化5年8月1日 第六次測量
測量日記十三 戊辰、沿海日記、下 文化5年8月2日~文化6年1月19日 第六次測量
測量日記十四 測量日記、一 文化6年8月27日~文化6年12月29日 第七次測量
測量日記十五 測量日記、二 文化7年1月1日~文化7年4月28日 第七次測量
測量日記十六 測量日記、三 文化7年4月29日~文化7年12月30日 第七次測量
測量日記十七 測量日記、四 文化8年1月1日~文化8年5月8日 第七次測量
測量日記十八 辛未・壬申、測量日記 文化8年11月25日~文化9年7月21日 第八次測量
測量日記十九 壬申、測量日記 文化9年7月22日~文化9年10月13日 第八次測量
測量日記二十 壬申、測量日記 文化9年10月10日~文化9年12月29日 第八次測量
測量日記二十一 癸酉、測量日記 文化10年1月1日~文化10年4月13日 第八次測量
測量日記二十二 癸酉、測量日記 文化10年4月14日~文化10年7月15日 第八次測量
測量日記二十三 癸酉、測量日記 文化10年7月16日~文化10年11月7日 第八次測量
測量日記二十四 癸酉、測量日記 文化10年11月8日~文化10年12月30日 第八次測量
測量日記二十五 甲戌、測量日記 文化11年1月1日~文化11年2月28日 第八次測量
測量日記二十六 甲戌、測量日記 文化11年2月29日~文化11年5月23日 第八次測量
測量日記二十七 乙亥丙子量地日記、天 文化12年4月27日~文化12年12月30日 第九次測量
測量日記二十八 乙亥丙子量地日記、地 文化13年1月1日~文化13年4月12日 第九次測量

(2)測量日記の読み下しの凡例

①第3巻以降では所々に付箋や、欄外記事が見られます。また、手分け測量がおこなわれた場合、手分け隊の記事は一段下げて記載されています。本稿では、欄外、付箋、手分け隊、等の記事はわかりやすいように褐色で表現しました。
※WEB版では、欄外、付箋、手分け隊、等の記事は冒頭に黒字で配置しました。

原文で1行内に割注扱いで2行書きになっている記事には、注記的な部分と、そうでない部分がありますが、個々に判断して明白な注記は括弧内に入れたものがあります。注記でない部分は本文と同じに扱いました。多くはありませんが、「校訂者」が追加しました。注記的文字は「青色」で表記しました。
※WEB版では、注記的文字は黒字で( )表記しました。

原文で3行注記や構造体表記となっていて、そのまま書下し文に直せない場合は、原文の記述と一致しない場合があります。
例)○○○村庄屋右衛門、□□□村庄屋仁助、△△△村庄屋左衛門

②原文は、できるだけそのまま解読しました。明らかに作者の誤記、誤解によると判断されたものには、ルビ(ママ)を付けて後に訂正文字を( )表記しました。原文の地名のルビも原文の通りとしました。
漢字は当用漢字と正字を原則としていますが、固有名詞では旧漢字や俗字も使用しました。嶋→島、惣→総など、普通名詞と考えるか固有名詞と考えるかにより変わりますが、個別に判断しました。
旧漢字で、日記の意味を伝えるのに必要な場合には、平仮名にせず旧漢字をそのまま使用しました。(凪、倣、斯、鰐口など)。旧漢字で読み方が難しい文字には「平仮名」ルビを付けるか(慥か→たしか、迚→とても、而巳→のみ、など)、平仮名にしました。(都而→すべて、など)。訓読みでも支障ない場合にはそのままとした場合もあります(来此夜など)。

※ほか、WEB版では、次のようにしました。

③測量日記原文の文体は漢文調で、仮名の助詞をできるだけ省き、句読点のない読みにくい文章ですが、本稿ではなるべく句読点を付し、漢字の助詞の大部分を書きなおして、わかりやすくしました。(ただし、原文に現れる古文書などの写しは平仮名にはしていません)。

助詞の「爾」、「天」、「茂」、「者」、「之」、「与」、「盤」、「須」、「江」、などは基本的に、「に」、「て」、「も」、「は」、「の」、「と」、「は」、「す」、「へ」と表し、また、「〆」「ニ而」のような文字は基本的に「して、しめて」、「にて」と表記しました。

「送り仮名」は付加せず、原文どおりとしました。(漸、同、来、など)。

④以上は原則を述べたものですが、その他の事項、助詞、句読点の扱い、原文中の注記的事項の取り扱い、地名、記事などを含め、解読に当たっての具体的な適用は、各校訂者の判断に任せています。したがって巻ごとに表記基準の多少の異同があることをご容赦願います。原文も17年におよぶ長い期間の出来事を書きつないだものであって、書き方も一定ではないことをご理解願います。

10.著作権および資料の出典元について目次へ

11.使用上の注意目次へ

監修のことば目次へ

村山 祐司(筑波大学教授)

 日本における近代地図の歴史は、約200年前に伊能忠敬が全国をくまなく実測して作成した伊能図から始まります。この精緻な紙地図を電子化するとともに、地名や測量日記などの付随情報をデータベース化して可視化や高度な分析を行えるようにしたのが、『デジタル伊能図』です。

 データの提供はシェープファイルですので,ユーザーは地図太郎をはじめQGISやArcGISといった汎用GISソフトで難なく操作でき、さまざまな地理空間分析を自在に行えます。たとえば、デジタル伊能図と地理院地図との重ね合わせによって、測線のずれなどを手がかりに伊能図の歪み・精度を科学的に検証できます。地理院地図を介して、地形図や標高図、空中写真、衛星画像、土地利用・条件図とのオーバーレイ解析も容易です。さらに、海岸線の後退・前進、干拓・埋め立て、山体崩壊、街道の消滅・経路変更など、過去200年にわたる日本列島の地理的変化を把握するうえで、重要なヒントを与えてくれます。また、約3.5万の地名がポイントでデータベース化されていますので、属性情報とのジオコーディングにより、当時の歴史統計や明治・大正期の人口・社会経済的データとのリンクも可能になります。目的によって活用範囲は無限に広がり、このデータベースの学術的な意義はきわめて高いと言えます。

 『デジタル伊能図』は、日本における地理空間データの歴史的な礎であり、地理学や歴史学は言うに及ばず、測量学、都市計画学、土木工学、地球科学などさまざまな分野で今後の応用研究が期待される未開拓の宝の山です。日本に限らず、19世紀初頭における国土全体を精密にデジタル化した大縮尺のベクター地図・ラスター地図は世界的にみても例がなく、画期的なデータです。海外の研究者からも注目を集めるに違いありません。

村山祐司
筑波大学生命環境系地球環境科学専攻・空間情報科学分野。専門:GIS/空間分析/都市地理学/交通地理学。1977年、東京教育大学理学部地学科地理学専攻卒。1979年、筑波大学大学院地域研究科修士課程修了。トロント大学大学院。1987年、三重大学人文学部助教授。2005年、東大空間情報科学研究センター客員教授。最近のGIS研究:明治・大正・昭和初期の統計データを電子地図化(広域)。

データ制作者として目次へ

猪原 紘太(東京カートグラフィック株式会社 取締役会長)

 伊能図の中に私の故郷の名前を見つけて以来、伊能忠敬が約200年前に歩いた道をいつか自分も歩いてみたい、という地図屋の想いからこの企画は始まりました。

 伊能図に朱色で描かれている測線(測量して歩いた街道・海岸線)を現在の地形図に落とし込むことは、想像以上に大変な作業でした。正確に描かれているといわれる伊能図ですが、さすがに1/25,000レベルの国土地理院の地図と重ねてもほとんど合いません。各図葉によってもまた1図葉の中でも相当なばらつきがあり、最終的に作業は忠敬が1歩1歩いて測量したと同じように伊能図を部分々々で重ね合わせながら、長年の地図屋の経験と感覚で地図を読みながら、測線を地理院地図上に落とし込みました(作業方法・仕様は資料参照)。

 この測線データの作成に3年半の年月がかかりましたが、地図の上で忠敬と同じ地球1周にあたる約40,000kmを歩いたことになります。途中何度もあきらめかけましたが、同時にわくわくするような新しい発見が次々とあり最後までやり遂げることができました。時代の変遷とともにダムの底に沈んでしまった街道もあれば、今でも新しい道路の片隅や基地の中にひっそりと残っている街道、地震による隆起でなくなってしまった湖、埋め立て等で大きく変化した海岸線、忠敬の訪れた多くの名所や神社仏閣など、「伊能図」には200年前の様子がしっかりと記録されていました。改めて地図が時代の変化を記録して残す重要なものであることを認識するとともに、17年かけ全国を歩いて測量し地図を残した伊能忠敬の偉大さを痛感しました。

 今まで難しいと思われたこのような作業がGIS(Geographic Information System)の技術を使うことで可能だと考え、作業には当社のコンパクトGISソフト「地図太郎」を使いました。世の中にはQGISやArcGISといった素晴らしい汎用GISもありますが、GIS技術者でもない私が作業を行うのに、このソフトなしで完成させることはできなかったと思います。手前味噌かもしれませんが、改めて地図太郎がGISの初心者に最適であることを確信しました。

 この「デジタル伊能図」は測線とともに、伊能大図に書かれている地名や測量日記、伊能大図画像をすべてデジタル化し簡単に閲覧できるようにしたものです。今後の歴史研究や地域おこしから個人的な趣味まで、多くの方々に使って頂ければ幸いです。

地名等について目次へ

星埜 由尚(伊能忠敬研究会 特別顧問)

 地名は、地図を構成する重要な要素である。伊能図も例外ではない。従って、伊能図にはおびただしい地名等が記載されている。幕府に提出した「大日本沿海輿地全図」に記載された地名についての詳細は、焼失したためわからないが、副本、模写本から地名等を読み取ることができる。

 平成 18 年(2006)に上梓した『伊能大図総覧』の作成に当たり、収載された伊能大図の副本、模写本に記載された地名等をすべて読み取り地名索引を作成した。平成 25 年(2013)に刊行した『伊能図大全』においても、この地名索引を踏襲した。『デジタル伊能図』においては、基本的にこの地名索引を用いているが、東京カートグラフィック株式会社が地名等に伊能図上における位置情報を付加し、地名をデジタル検索できるように加工している。

 今回『デジタル伊能図』作成に当たり、地名索引は、すべて再検査を行い、誤り、漏れなどなきよう万全を期したが、伊能図における地名の字体は、字大の過小なものも多く、また、難読地名も多数あり、いまだに誤り・漏れが存在する可能性がある。誤り・漏れがあればご容赦願うとともに、ご教示願えれば幸である。

 伊能大図には、35,000 余の地名等が記載されている。国名、郡名、村名のほか、山名、島名、岬名、河川湖沼名が主たるものである。宿駅には○、天測点には☆、湊には舟形の印が付されており、神社の鳥居印も数は少ないが描かれている。江戸府内図には、村名、町名のほか、大名・旗本の屋敷名が詳細に記載されており、その他、橋、御門なども注記されていて、地名等の総数は、約5,360 に上る。但し、江戸府内図においては、村名、町名などは重複して記載されているものが多い。

 地名索引の作成に当たっては、滝澤主税氏の労作『地名研究必携』及び『日本地名分類法』を参考にした。これらの著作は、滝澤主税氏が天保郷帳に記載されている町名、村名を体系的に整理されたもので、伊能図に記載の地名の読み方等については、これに負うところが非常に大きい。改めて滝澤主税氏に感謝申し上げる次第である。

「伊能忠敬測量日記」解説目次へ

渡辺 一郎(伊能忠敬e史料館 館長/伊能忠敬研究会理事 名誉代表)

 伊能忠敬は満 55歳から自らの意思で測量を志し、73歳で死没するまで、日々の出来事を日記に残した。これを調べることによって、我々は伊能測量の詳しい経過を知ることができる。

 日記には、彼が測量しながら現場で書いた「忠敬先生日記」という表題の 51 冊と、自身で後に清書した「測量日記」という名称の清書本 28 冊の2種類があり、いずれも千葉県香取市の伊能忠敬記念館に保存されていて、2010年6月29日、両者とも国宝に指定された。

 これまでにも測量日記解読書の制作は、さまざまな方々により試みられたが、本データは元伊能忠敬記念館館長佐久間達夫氏の「測量日記」解読を底本とし、伊能忠敬研究会内外の古文書と史実に詳しい諸兄姉の知識を結集して、徹底した校訂をおこない、「測量日記」清書本解読書の決定版を目指している。

 伊能測量の公式報告は、幕府に提出された輿地実測録 14 冊と大図 214 枚、中図 8 枚、小図 3 枚であるが、わざわざ清書本まで作成した「測量日記」も、準公式報告書として後世に伝えようとした記録と考えられる。

「測量日記」の記述は、天候、作業内容、宿泊地、訪問した名所旧跡や、送迎・案内など接遇にあたった諸藩の役人、町村宿場役人の名前などの事実を淡々と記し、感想、意見、批判めいたことは、ほとんど現れない。一見、無味乾燥であるが、旅先で課業終了後、暮夜独り、受け取った名札を整理しながら、一日の経過を綴った忠敬の想いに心をはせ、行間から事実を読み取ってほしいと思う。

「測量日記」の精読により、想像を遥かに超える巨大な事業規模を知り、作業内容としては、梵天の大きさ、海岸測線の渚からの距離、天測の頻度など、伊能測量の具体的なイメージを知ることができる。

「第 1 巻」と「第 2 巻」では、測量開始までの交渉経緯が「第 1 巻」に、また第 1 次測量の終了後から第 2 次測量開始までの経過が「第 2 巻」に、詳細に記録されている。「第 3 巻」から第 1 次測量の記録が現れるからわかりにくいが、測量記録のみを読む場合は、「第 3 巻」から始めていただきたい。

 本稿の取りまとめにあたり、左の各氏に絶大な御協力いただいた。皆様御多忙のなかを熱心に取り組んでいただき、有難く厚く御礼申し上げる。

渡辺一郎 伊能忠敬研究会名誉代表(監修)
2015 年9月

伊能忠敬「測量日記」解読版の改訂にあたって目次へ

渡辺 一郎(伊能忠敬e資料館 館長/伊能忠敬研究会理事 名誉代表)

伊能忠敬による「測量日記」の解読版刊行を二〇一五年四月に行ってから、さまざまな方面からご指導やご指摘をいただきました。ここに篤く御礼を申し上げます。それらを踏まえて「測量日記」解読版の改訂を次のとおり行うことと致しました。

第一は誤解誤字の修正です。第二は、アメリカ議会図書館収蔵の伊能図(大図)による再精査です。これはこれまで伊能図(大図)は、国立国会図書館収蔵のものがほぼ唯一で、それも東日本に限られていましたが、アメリカ議会図書館収蔵の伊能図が発見されたことで西日本の伊能図(大図)閲覧が可能になったことによるものです。第三は、一部の巻の解読は旧字体でしたが、これを他の巻に合わせ新字体へ変更しました。

  1. 改訂した巻の内訳は次のとおりです。
    • 誤解誤字の修正を行ったもの。
      • 「第一巻」「第三巻」「第四巻」「第六巻」「第七巻」「第八巻」「第九巻」「第十一巻」「第十三巻」「第十五巻」「第十六巻」「第十八巻」「第二十四巻」「第二十五巻」「第二十六巻」「第二十八巻」
    • アメリカ議会図書館収蔵の伊能図(大図)による精査を行ったもの。
      • 「第八巻」「第九巻」「 第十巻」「第十一巻」「第十二巻」「第十三巻」また、「 第十八巻」「第十九巻」「第二十巻」「第二十一巻」「第二十二巻」「第二十三巻」
    • 旧字体を新字体へ変換したもの。
      • 「第十二巻」「第十三巻」。
        • 変換は、左の文字を旧字体(新字体)の通り行いました。
        • 迠(迄)、濱(浜)、眞(真)、國(国)、賣(売)、續(続)、藝(芸)、豫(予)、傳(伝)、邊(辺)、拂(払)、會(会)。
  2. 改訂しなかった巻は次の通りです。
    • 「第二巻」「第五巻」「第十四巻」「第十七巻」「第二十七巻」
  3. 誤解誤字の修正内容は別表のとおりです。