和泉市年表

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No 和暦 西暦 事柄 出典
1 天正3年 1575 織田信長が五社大明神領を安堵する朱印状を発給する。 『和泉市の歴史 5』(2024年)
2 天正4年 1576 織田信長が大坂本願寺と衝突する。天正6年にも衝突する。 『和泉市の歴史 5』(2024年)
3 池田長三郎が大坂本願寺合戦の戦功により、織田信長から池田庄内の二〇石の収益を保障される。 『和泉市の歴史 3』(2011年)
4 天正5年 1577 織田信長が松尾寺での軍勢狼藉・山林の伐採・放火を禁じる。 『和泉市の歴史 2』(2008年)
5 天正7年 1579 槙尾山僧侶南室坊快恵が禅寂寺の鎮守社(現在の郷荘神社)の社殿を建立する。 『和泉市の歴史 5』(2024年)
6 天正9年 1581 織田信長により槙尾山が破却される。
松尾寺が信長に破壊され、寺領を没収される。この時、文書は堺の念仏寺へ、阿弥陀来迎図は忠岡村の衆徒へ移される。
『和泉市の歴史 2』(2008年)
『和泉市の歴史 7』(2018年)
7 天正13年 1585 豊臣秀吉が関白になる。 『和泉市の歴史 7』(2018年)
8 天正13年 1585 西泉寺(府中)が、秀吉から府中清水の「茶水」馳走を命じられる。 『和泉市の歴史 5』(2024年)
9 天正14年 1586 片桐且元が和泉国上条郷において、一〇七〇石を支配する。 『和泉市の歴史 7』(2018年)
10 天正14年 1586 豊臣秀吉が片桐貞隆に対して上条郷に知行を与え、黒鳥坊村、池上村、肥子村などが片桐家領となる。 『和泉市の歴史 5』(2024年)
11 天正14年 1586 府中村西泉寺家の所持地が秀吉と片桐主膳正によって安堵される。 『和泉市の歴史 5』(2024年)
12 天正15年 1587 池田谷上村の八ヶ村が智海寺や槙尾山の取次で高野山奥院から借米をし、高野山蓮明院と師檀関係を結ぶ。 『和泉市の歴史 3』(2011年)
『和泉市の歴史 6』(2013年)
『和泉市の歴史 7』(2018年)
13 天正15年 1587 槙尾山寺財産目録が作成される。 『和泉市の歴史 1』(2005年)
14 文禄3年 1594 小出秀政が槙尾山の検地をおこなう、槙尾山と横山谷にそれぞれ山年貢が課される。槙尾山は六石の朱印地を与えられる。 『和泉市の歴史 5』(2024年)
15 文禄3年 1594 太閤検地によって松尾寺は寺屋敷17石3斗を朱印地として認められ、同時に周辺の山林(場広山)が除地、東松尾川沿いの田畑が年貢地とされる。また、箕形村、寺田村、唐国村、内田村、春木村、久井村、若樫村、春木川村が確立していく。 『和泉市の歴史 2』(2008年)
16 慶長7~明暦2年 1602~
1656
松尾寺が豊臣秀頼によって再興される。その後本堂も再建される。 『和泉市の歴史 2』(2008年)
17 慶長8年 1603 豊臣秀頼が槙尾山本堂を再建する。 『和泉市の歴史 1』(2005年)
18 慶長9年 1604 岸和田城主小出氏の指示により、信太郷などで指出検地が実施される。 『和泉市の歴史 4』(2015年)
19 慶長9年 1604 豊臣秀頼が、片桐且元を奉行として、信太明神社(聖神社)社殿を再建する。本殿、末社、三神社本殿、滝字神社本殿が築造される。 『和泉市の歴史 4』(2015年)
20 慶長10年 1605 慶長の国絵図と郷帳が幕府に提出される。 『和泉市の歴史 5』(2024年)
21 慶長10年 1605 五社惣社本殿などが片桐且元によって再建される。 『和泉市の歴史 5』(2024年)
22 慶長14年 1609 槙尾山と横山谷の村々とのあいだで山論がおこる。(慶長16年まで継続) 『和泉市の歴史 1』(2005年)
23 慶長16年 1611 万町・浦田・鍛冶屋村の間で、梨本池の番水について、取り決めがなされる。 『和泉市の歴史 3』(2011年)
24 慶長19年 1614 大坂冬の陣。秀頼が槙尾山に軍中禁制を下す。府中村西泉寺家が徳川方から警固を命じられる。 『和泉市の歴史 5』(2024年)
25 元和元年 1615 片桐且元が死去し、弟の大和小泉藩主貞隆が領地を引き継ぐ。池上村、黒鳥坊村、肥子村が同藩領となる。 『和泉市の歴史 7』(2018年)
26 元和元年 1615 松尾谷の村むらはすべて幕領となる。 『和泉市の歴史 2』(2008年)
27 元和2~6年 1616~
1620
摂河郡代須田広庄が横山谷の代官を務める。 『和泉市の歴史 7』(2018年)
28 元和3年 1617 幕府、朱印状を一斉交付 槙尾山が朱印状の交付を受ける。 『和泉市の歴史 1』(2005年)
29 元和4年 1618 山の用益権をめぐって槙尾山が横山谷の村々を訴える。 『和泉市の歴史 1』(2005年)
30 元和7年 1621 堺奉行喜多見勝忠が横山谷の代官を務める。 『和泉市の歴史 7』(2018年)
31 元和8年 1622 山田直時(元北條氏家臣)が横山谷の代官を継承する。 『和泉市の歴史 7』(2018年)
32 元和9年 1623 槇尾山と横山谷の村むらとの山の用益をめぐる争論が山の境界確定に伴い収束する。 『和泉市の歴史 7』(2018年)
33 寛永2年 1625 仏並村庄屋池辺金右衛門が槙尾山梅中坊へ仏像一体と絵像二幅を寄進する。 『和泉市の歴史 1』(2005年)
34 寛永2年 1625 山の境界をめぐり、久井村と春木川村との間で争論が起きる。 『和泉市の歴史 2』(2008年)
35 寛永10年 1633 石河勝政が堺奉行に就任する。 『和泉市の歴史 7』(2018年)
36 寛永13年 1635 槙尾山が朱印状の交付を受ける。 『和泉市の歴史 1』(2005年)
37 寛永18もしくは19年 1641 飢饉のなか、松尾寺と唐国村・内田村との間で山論が起きる。松尾寺はこの山論を有利に導くために、天海との結びつきを強める。 『和泉市の歴史 2』(2008年)
38 寛永19年 1642 槙尾山が伊勢法印の恣意的支配を告発する。 『和泉市の歴史 1』(2005年)
39 寛永19年 1642 幕領代官山田五郎兵衛が、伯太村と池上出作の水利立会割を定める。 『和泉市の歴史 4』(2015年)
40 寛永19~ 寛文元年 1642~
1661
彦坂氏が伊丹氏の後をうけて和泉国の代官を務める。 『和泉市の歴史 7』(2018年)
41 寛永20年 1643 大鳥池郷の村むらが上代村に「水ひたり米」を納めるようになる。 『和泉市の歴史 4』(2015年)
42 寛永末~正保年 松尾寺と松尾谷の村むらとの山の用益をめぐる争論が境界の確定に伴い収束する。 『和泉市の歴史 7』(2018年)
43 正保元年 1644 幕府が全国に国絵図・郷帳の作成を命じる。 『和泉市の歴史 7』(2018年)ほか
44 正保2年 1645 和泉国内の幕領三一二〇七石を石河勝政が支配。堺奉行と代官を兼任する。 『和泉市の歴史 7』(2018年)
45 正保4年 1647 山論が小出伊勢守の裁許によって決着する。「泉州松尾谷絵図」により、おおよそ東松尾川から東側が松尾寺の山(場広山)、西側が唐国村・内田村・久井村・若樫村・春木川村の立会山と確定する 『和泉市の歴史 2』(2008年)
46 明暦2年 1658 万町村が池田下村内にある出作地の年貢について代官ヘ訴える。 『和泉市の歴史 3』(2011年)
47 寛文年間年 1661 この頃、山の境界をめぐって、村むらの争いが激しくなる。 『和泉市の歴史 7』(2018年)
48 寛文元年 1661 旗本渡辺吉綱が大坂城玉造口定番に命じられる。役知として和泉・河内国に1万石を加増され、譜代大名になる。伯太村・黒鳥上村・池上村出作(上泉郷)が、渡辺家領になる。 『和泉市の歴史 7』(2018年)
49 寛文2年 1662 大坂城代に青山宗俊が就任し、摂河泉を含む六ヶ国に五万石の所領が与えられる。坂本村・今在家村・桑原村などが同氏領となる。 『和泉市の歴史 5』(2024年)
『和泉市の歴史 7』(2018年)
50 寛文2年 1662 彦坂氏の代官領が大坂城代の役知領になる。 『和泉市の歴史 7』(2018年)
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