むかしむかし、このあたりがまだ和泉(いずみ)とよばれるまえのこと。
近くの海では、ちぬ(黒鯛)がよくとれていました。それはそれは、かたちがよく、味もたいそうよいちぬでしたので、みんな、その海のことを「ちぬの海」とよびました。
さて、ある日のこと。ちぬのうわさを聞きつけた時の天皇さまが、それは、ぜひとも食べてみたいとおっしゃって、わざわざ都から、この「ちぬの海」までやって来ました。
天皇さまは、とれたてのちぬを食べると、うわさどおりのおいしさに感動し、これからは、いつでも都から食べに行けるようにと、この地に離宮(別荘)の建設を命じました。
こうして「珍努離宮(ちぬのりきゅう)」という、立派なお屋敷が完成しました。
離宮の完成をよろこんだ天皇さまは、それからなんどもこの地にやって来ると、おいしそうに大好きなちぬや海の幸をたくさん食べました。
そして、いつのころからか、「ちぬの海」があったこのあたりのことも「ちぬ」とよぶようになりました。
(府中町(ふちゅうちょう)周辺のはなし)
【まめちしき】
◇「ちぬ」という地名の由来は、ほかにもいろいろあり、「茅(かや)」という草がたくさん生える場所だったから、「茅渟(ちぬ)」とよぶようになったともいわれています。また、有名な『古事記(こじき)』のなかにも、「血沼(ちぬ)」という書き方で「ちぬ」は登場します。(このつぎのお話、「古事記に伝わるちぬの海」を読んでみてください。)いろいろな漢字で書かれていますが、すべて、おなじ地名です。
◇「珍努離宮」は、「和泉宮(いずみのみや)」ともよばれ、泉井上(いずみいのうえ)神社の周辺にあったと言われています。ちなみに衣通姫(そとおりひめ)伝説(泉佐野(いずみさの)のむかしばなし)に登場する「茅渟宮(ちぬのみや)」と名前がそっくりですが、別のものと考えられています。