雷井戸とくわばら(かみなりいどとくわばら)

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 むかし、桑原(くわばら)の村のお寺に、重源(ちょうげん)というお坊さんがいました。
 重源さんは、毎日のように村から村を歩いて、奈良東大寺(とうだいじ)の大仏さんをつくりなおすお金を集めたり、百姓たちのためにため池をほったりして、世のため人のため、はたらいていました。
 このころ、この村にはよくかみなりが落ちていました。重源さんもどうしようもなくてこまっていました。
 そんなある夏の夕方のことです。
 このお寺のおばあさんが井戸の横でせんたくをしていると、にわかにあたりが暗くなって、雨がふりだしました。そして、いなびかりがピカッと光ったしゅんかん、
 ガラ ガラ!
 という、耳もさけんばかりの大きな音がしたかと思うと、
 ドシーン!
 と、かみなりが落ちました。
 かみなりが雲の間から足をすべらせて、おばあさんのせんたくしている横の井戸の中へ落ちたのです。
 さあ、たいへん。ふつうの人なら腰をぬかしてしまうところですが、このおばあさんは村いちばん気が強くて力持ち。
「こら、かみなりめ!」 
 と、いうなり、たらいで井戸にふたをして、おまけにその上に大きな石までのせました。

 さすがのかみなりも、どうすることもできません。かみなりは、
「かんにんしてくれ、わしが悪かった。ここから出してくれ。おねがいだから助けてくれ。」
 と、おばあさんにあやまりました。けれど、おばあさんは、
「いいや、ゆるさん。今、おまえを助けてやったら、またこの村に落ちるに決まっている。その手にはのらんわい。」
 と、かみなりの頼みをききませんでした。
 かみなりは、とうとう泣き出して、
「ほんまに、わしが悪かった。もうこれからは、絶対に落ちないから、助けてくれ。」
 と、あやまりました。

 お寺の本堂でお経をあげていた重源さんが、おばあさんとかみなりとのやりとりをきいて、出てきました。
「これからは、この村に落ちないと約束できるか。できるのなら、ゆるしてあげよう。」
 と、重源さんは言いました。
 すると、かみなりも、
「はい、これからは決して落ちません。天に帰ったら仲間にも話します。もし、これから、ゴロゴロとかみなりの音が鳴り出したら、『くわばら、くわばら』といって念仏をとなえてください。桑原の村には、かならず落ちないようにします。」
 といって、あやまりました。
 そこで、重源さんとおばあさんはかみなりをゆるして、逃がしてあげました。かみなりは、ふたりに礼をいうと、黒雲にのって、見る見るうちに天へと帰っていきました。

 それからというもの、桑原の村には、かみなりが落ちなくなり、しあわせな日が続くようになりました。
 そして、村の話はたちまち広がり、ちかくにすむ人たちも、やがて、かみなりが鳴ると「くわばら、くわばら」と言うようになりました。
(桑原町(くわばらちょう)周辺のはなし)

 
【まめちしき】
◇重源さんは、俊乗房(しゅんじょうぼう)重源ともいい、平安時代の末期から鎌倉時代にかけて活動したお坊さま(生没年1121‐1206)です。重源さんは、戦で焼けてしまった奈良の大仏さまやお堂をつくりなおすため、勧進職(かんじんしょく)(寄付をあつめる仕事)につき、見事、その偉業をなしとげました。
◇重源さんの伝説はほかにもあり、谷山池(たにやまいけ)を作ったお話や、留学先の宋(そう)(昔の中国)から水仙の球根を持ち帰り、村人たちに栽培方法を教えたお話などがあります。
◇お話の舞台となったお寺は、西福寺(さいふくじ)といい、いまも和泉市の桑原町にあり、かみなりが落ちたといわれている「雷井戸」も見ることができます。