摩湯山のキツネ(まゆやまのきつね)

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 むかしむかし、唐国(からくに)の西にある摩湯山(まゆやま)にたくさんのキツネがすんでおりました。摩湯山のキツネは人をからかうのが大好きでしたので、夏の夕暮れに行水をすませた子どもたちが、のりのきいた浴衣をきて、西のほうを向き、
「そりゃ、ぞおうっとせぇ。」
 とからかうと、山のほうからかならず、
「そりゃ、ぞおうっとせぇ。」
とやりかえすキツネの声が聞こえてきました。

 そんないたずら好きのキツネでしたが、おとなには、べつのいたずらをして困らせておりました。どのようないたずらかというと、それはたいそう、うつくしい女に化けて、男をまどわせるというものでした。人通りのない夜の山道を男が通りかかると、キツネはきまって、うつくしい女に化け、
「もし、あんたさん。」
 と声をかけてくるのでした。
 キツネの話を知らない男はもちろん、知っている男でさえも、そのうつくしさに見とれ、ついつい、だまされることがあったそうです。

 あるとき、ひとりの男が、夜の山道を歩いていると、色の白い、うつくしい女があらわれ、男に声をかけてきました。男はすぐにキツネだと気づきましたが、知らん顔で女に話しました。
「夜遅くにこんなところで、どうしなさった。」
「じつは道に迷ってしまい、困っております。よろしければ、途中まで、ご一緒させてもらえませんか。」
 女の願いを聞き、男は一緒に山道を歩きだしました。女は夜の山道がこわいのか、身をぴったりとくっつけるようにしてついてくるので、男は気がまぎれるよう、楽しい話をいろいろと聞かせながら、しばらく歩き、やがて、道のかたわらにある切り株に腰かけました。
 そして、一休みしようと懐から煙草をとりだしました。
 女はそれを見るなり、驚いたようすで、
「あんたさん、あたし、煙草はきらいです。吸わんといてください。」
 といいました。しかし、それでも男が無視して煙草を吸うと、不思議なことに、女の姿は消えてしまいました。
 キツネは火が怖いので、煙草を吸われると、それ以上、その場にいることができず、逃げだしてしまうのでした。それを知っていた男は、頃合いを見て煙草を吸い、化かされることなく、山道を通ることができました。
 また、べつのあるとき。
 室堂(むろどう)の小佐衛門(こざえもん)という人が、摩湯山の道を歩いていました。
 この人は、商いのために、なんども山道を行き来していたので、ときどき、キツネに化かされてはくやしい思いをしておりました。
 いつか仕返しができないものかと、考えながら歩いておりますと、
「もし、あんたさん。」
 とうしろから、うつくしい女に声をかけられました。
 さすがの小佐衛門も、これはキツネにちがいないと気づきましたが、知らん顔をして、
「こんな山道に女がひとりとは、ぶっそうな。どうしなさった。」
「じつは道に迷ってしまい、困っております。よろしければ、途中まで、ご一緒させてもらえませんか。」
 と女がいったので、小佐衛門はふと思いつき、
「おお、かまわぬ、かまわぬ。そうじゃ、わしはこれから紀州(きしゅう)のとのさまの大名行列を見にいくのじゃが、よければ、一緒に見にいかんか。」
 と女を誘いました。女はうれしそうにうなずくと、小佐衛門のあとをついてきました。こうして、ふたりは岸和田(きしわだ)までやってきました。
 すると、ちょうど、紀州のとのさまの行列がむこうから、やってくるところでした。
 小佐衛門はすぐに道のはしにより、行列に道をゆずりましたが、なにもしらないキツネは、女の姿に化けたまま、その行列にむかって、かけだしました。
「室堂の小佐衛門はえらいなぁ。こんな立派な行列、見たことないで。なあ、小佐衛門、もっと近くで見ようや。」
 しかし、ふりかえってみると小佐衛門の姿はありませんでした。かわりにこわい顔の武士がそこに立っていました。
 武士はひとこと、
「無礼者め。」
 といって、女を切り捨ててしまいました。
 こうして、人を化かすキツネより、小佐衛門のほうが一枚上手だということで、「キツネの七化(しちば)け、タヌキの八化(はちば)け、室堂小佐衛門の九化(きゅうば)け」といわれるようになりました。
(唐国町(からくにちょう)周辺のはなし)


 
【まめちしき】
◇摩湯山とよばれる場所は、岸和田市にあり、いまも「摩湯山公園」や「摩湯山古墳」といった形で残っています。
◇このほかにも、キツネが人を化かす話は、和泉市周辺にたくさんあります。