保名と葛の葉(やすなとくずのは)

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 むかしむかし、住吉(すみよし)というところに 安倍保名(あべのやすな)という人がおりました。妻は、葛(くず)の葉(は)といい、たいそう体の弱い人でした。

 葛の葉は、たびたび体をこわしては、里にもどり、体をやすめておりました。保名は、そんな葛の葉をかわいそうに思い、なにか自分にできることはないだろうかと、日々、考えておりました。
 葛の葉が、また里に帰ってしまったあるときのこと。保名は、神様に元気な体と元気な赤ん坊をおねがいしようと思い、信太大明神(しのだだいみょうじん)(聖(ひじり)神社)にでかけました。
 なん日も なん日も、保名は、いっしょうけんめい、神様におねがいをしました。
 そんなある日のこと。
 保名が神社の池のほとりに立っていると、水面に白ギツネのすがたがうつりました。ふしぎに思ってふりむくと、ちょうど、猟師におわれている一匹のネズミが逃げてくるのがみえました。保名はかわいそうに思い、ネズミをそでにかくすと、ほとぼりがさめるのをまって、山へ逃がしてやりました。

 その夜のことです。
 いのりつかれ、神社のなかでねむっていた 保名の夢に、かんむりをかぶった老人があらわれ、
「あなたがいっしょうけんめい、いのっているのは、よくわかりました。ねがいはかならず、かなうでしょう。奥さんの病気はよくなり、元気な赤ん坊もさずかることでしょう。」
 といいました。
 保名が夢のおつげを信じて、さっそく家に帰ると、葛の葉が元気なすがたで里からもどってきました。そして、おつげのとおり、すぐに元気な赤ん坊がうまれました。
 ふたりは大いによろこび、赤ん坊をたいせつにそだてました。そして、なん日かたったある夜、葛の葉のすがたが、とつぜん、かがやきだしたかと思うと、白ギツネのすがたになりました。

「わたしは、信太大明神のつかいのものです。信太大明神が、あなたのいっしょうけんめいな、いのりをごらんになり、稲荷大神(いなりおおかみ)とそうだんし、わたしをつかわしました。わたしは葛の葉のすがたをかり、あなたに元気な赤ん坊をさずけました。ですから、もう帰らなければなりません。どうか、赤ん坊をたいせつにそだててください......それと、もうひとつ。池のほとりで ネズミのすがただったわたしをたすけてくれて、ありがとう。」
 そうつげると、白ギツネは、光とともに消えてしまいました。
 保名は、おどろきとありがたい気持ちでいっぱいになり、夜があけるまで、泣いていました。
 そして気がつくと、障子に歌が一首のこされていました。
 
   こいしくば たずねきてみよ いずみなる
             しのだのもりの うらみくずのは
 
 それからしばらくして、本当の葛の葉が病気をなおし、家にもどってきました。ふたりは赤ん坊を大切にそだて、かわいがりました。
 赤ん坊は、すくすくと大きくなり、やがて、立派な陰陽師(おんみょうじ)になりました。
 その陰陽師の名は、安倍晴明(あべのせいめい)。
 いまでは、知らない人がいないくらい有名になりました。
(王子町(おうじちょう)周辺のはなし)


 
【まめちしき】
◇聖神社のちかくには、白ギツネが水面にそのすがたを映した「鏡池(かがみいけ)」や、ネズミを逃がしてやったという「ネズミ坂」が、いまも伝わっています。
◇「鏡池」は和泉市指定史跡の第一号であり、「信太の森の鏡池史跡公園」のなかにあります。公園には「信太の森ふるさと館」もあり、周辺の歴史や文化、自然について紹介しています。
◇安倍晴明(生没年921―1005)は、平安時代中期の陰陽家(陰陽師)です。陰陽家とは、中国から伝えられた暦・天文・地理などの知識にもとづいて、占いや呪(まじな)いを行う人のことをいいます。晴明の人気はいまも高く、モデルにした小説などが多数あります。
◇保名と葛の葉のお話は、このほかにも伝わっています。最後にもう一つ、保名と葛の葉のお話をして、終わりにしましょう。