「伊左衛門どん」「だいじん屋敷」と地元では呼ばれる坂野家は、大生郷村(おおのごうむら・現:常総市大生郷)に土着して500年ほどになるといわれる。近世期にはこの地方の惣名主的存在でもあり、多くの人に親しまれてきた。
坂野家が豪農としての基礎を固めたのは、江戸時代中期に行われた飯沼の新田開発の時といわれている。3000町歩(30平方キロメートル)におよぶこの大事業において、当主の伊左衛門は幕府から事業の責任者である「頭取」の一人に任じられ、米の生産拡大に向け尽力した。天保年間(1830~1843)には、二宮金次郎(尊徳)が大生郷村の荒地再興の任を帯びて屋敷に逗留し、村人に農業の仕法を施した記録も残っている。また、昭和8年(1933)の記録によれば、農業規模は米が小作米ともで1300俵、小麦600俵の収量があり、7人の使用人を抱えた大農であったと記されている。このように、坂野家は新田開発を契機に拡大し、現在残る屋敷構えの原形もこの頃造られたと考えられる。
水海道市(現:常総市)は、平成10年に建物と屋敷地を坂野家から譲り受け、歴史的建造物とこれを取り巻く里山風景を保存する『水海道風土博物館』として屋敷構えや庭園などを、明治25年頃の銅版画に近い姿に整備・復元し、平成13年4月より一般公開を始めた。その後、平成15~17年の保存修理工事の解体で、主屋の変遷がほぼ明らかになり、主屋の形式が最も整った19世紀中頃の姿に復元した。
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