「土間」は日本の伝統的な民家などに多く見られ、農業を生業とした坂野家においては作業場・炊事場としても使われる重要なスペースで、54坪の面積を持つ。土間は三和土(たたき)となっており、土に石灰とニガリを加えたものを固く叩き締めて仕上げている。
この土間は建物の建築年代から大きく2つに分けることが出来る。建築当初は大戸口を入った部分に設けられたものと考えられ、ヒロマ、チャノマといった床敷部分と接している。ここには、大小4つの火口を持つ竈(かまど)が設けられている。竈の隣には、発掘調査によって存在が確認された地炉(じろ)が復元されている。竈と地炉の上には砂ずり壁の天井を設け、屋根などに飛火して火災が起こるのを防ぐ工夫が施されている。
さらに、土間の東側が後に増設された部分である。この部分の土間は座敷部の増設と同時期に行われたものと考えられており、茅葺屋根の様子や奥行きが異なるため、内部だけでなく外観からも増設の状態が伺われる。
文久4年(1864)の坂野家家相図では、ここに馬屋(うまや)が描かれており、また、発掘調査によって馬屋と思われる掘りこみが確認されたため、新たに復元された。
かつての坂野家では、家族と奉公人あわせて20人前後の生活がなされ、生活の場としても仕事場としてかなり広い土間を設えている。また建物内の馬屋は、馬が生活や農業生産にとって貴重な存在であったということをうかがわせている。