居室部は主屋建築当初から設けられていた部分であるが、「四間取り」(よまどり。田の字のように部屋が並ぶ型)と呼ばれる現在の広間・茶の間・仏間・納戸という部屋の配置は、建築後しばらくしてからその形に変えられたものと考えられる。
広間は14畳敷であるが、敷居・鴨居を設けて板戸で東西を8畳と6畳の二間に仕切れるように作られている。広間南には無双連子(むそうれんじ)の蔀戸(しとみど)が設けられ、その上は欄間となる。この蔀戸と欄間による意匠はこのあたりでは珍しく、また、連子と蔀戸による通風と採光の仕組みには、建築当時の工夫が伺われる。
茶の間は、家人が日常生活の場として使った14畳の畳敷きの部屋で、部屋の中央には掘炬燵が設けられていた。畳を上げた後の柱や敷居に残っていた煤の付着から以前は板敷であったと考えられ、また、根太(床板を受ける横木)や天井の構造から、文久4年(1864)の家相図にもあるとおり、囲炉裏が切られていたことが判明した。復元に際しては、この調査結果を踏まえて板敷で囲炉裏を切った間取りに改められた。
居室部は、江戸期の農民の生活スペースであることから、縁の無い琉球畳や帯戸などを用い、武士層の接客スペースである座敷部との格式の違い(座敷部は畳縁のある備後畳や襖・障子などを用いる)を表している。
解体工事前は建具もガラス入り腰付障子戸など近年の生活様式に即したものが多く使われていたが、復元の際には江戸期の時代の設定(帯戸や板戸など)に改められた。