座敷部(式台玄関・客間)

 座敷部は南から「一の間」「二の間」「三の間」で構成され、二の間東には、この建物の特徴ともいえる式台玄関と、三の間東には内玄関が設けられている。生活のためのスペースである居室部とは異なり、来客(特に幕府の役人などの武士層)を接待するための客間としてしつらえられ、瀟洒(しょうしゃ)な造りとなっている。
 江戸時代、天領(幕府直轄地)であったこの地を管理するため、幕府の役人が坂野家に逗留、坂野家はいわば幕府の「出張所」という性格も持たされていた。当時このあたりの有力な名主(惣名主)でもあったことと相まって、本来武家屋敷の様式である表門(薬医門)や式台を持つ玄関などが特別に許されていた。坂野家の座敷部はこのように役人や要人などに供するメーンの部分で、惣名主としての格式の高さを如実に表している。なお、式台玄関と内玄関は、家人はもちろん当主もほとんど使うことはなかったといわれている。
 一の間、二の間には床の間が整えられている。一の間は床の間隣に天袋、違い棚を持つ床脇が設けられているのに対して、二の間は、床の間隣は床脇ではなく押入となっており、式台玄関から入る部屋なので一の間の次の間として使われていたと思われる。
 一の間と二の間との間には見事な菊の透彫りの欄間が入っている。この欄間はもともと坂野家の家紋である蔦(つた)をモチーフにした欄間であると考えられていたが、蔦の葉の部分が外れ落ちて初めて菊の欄間であることがわかった。この菊は16弁の菊の花であることから、当時、あまりにも畏れ多いということで蔦の葉で隠したものと推測される。
 
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 三の間は、一の間・二の間と比べると特別な意匠もないごく普通の部屋で、当時は役人の付人が使用していたという。欄間の釘隠しもある格式を表す。仏間の釘隠しとの違いも興味深い。
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