1階の「太鼓」の渡り廊下、南北廊下のガラス戸、タイル張り・から傘天井の風呂場、3畳間天井のガス燈、さらには2階南側出窓の巻き上げ式日除けや南北廊下の手すりなどに大正ロマンを醸し出し、近代和風建築としても貴重な建築物である。1階、2階とも床の間、床脇が整えられ、南北廊下のガラス戸や2階南面出窓上に設けられた巻上式の日除け、あるいは1階のガス灯やタイル張りの風呂など、主屋の伝統的な和風建築とは異なるモダンな雰囲気が溢れている。
幕末から明治にかけての当主であった坂野耕雨(第11代・久馬)・行斎(第12代・信寿)は文人としても知られ、この地方はもとより、江戸(東京)などからも文人墨客を招へいし、交流を深め、坂野家は当常総地方の文化活動の拠点でもあった。書院(月波楼)はそのためのサロンであり、当時の優れた書画等の作品が数多く残されている。サロンとして建てられたのが江戸末期の初代の月波楼、その姿は、明治25年発行の『大日本博覧図』に収められている坂野伊左衛門宅の銅版画に見ることができる。
こうした坂野家における文人たちとの交流は、大正9年の月波楼改築後も続けられ、数多くの書画作品が遺されることになる。中村不折の扁額『月波楼』や、梁川星巌の『星巌先生月波楼誌』、あるいは12代当主行斎が明治期にまとめた『月波楼遺稿』のように、月波楼にゆかりのある作品も多数遺された。
このように、江戸(東京)をはじめとして各地の著名な文人墨客が耕雨や行斎を訪れていることや遺された数多くの作品から、当時、坂野家がこの常総地域の文化活動の中心であったことがうかがい知れる。
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