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東源軍鑑後録
一 小田城ハ天正二年ニ落城藤澤モ同年土浦
モ同年ニ落城也
一 小田城主ニハ梶原美濃守景國天正二年居
也其後下妻多賀谷修理大夫重經小田城主
梶原ヲ攻常州山木ニ掻上ノ城ヲ構梶原ト
多賀谷度々取合ト云云
一 天正年中太田十郎ト云人小田ヘ來梶原ヲ頼
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ミ梶原承引セズ夫ヨリ佐竹ヘ参義信公ヲ
頼佐竹ニ住ス其後梶原義信公ヲ背キ不和
ニ成ル時大田十郎小田ノ討手ニ下向ス小
田山ヘ登リ一夜之内ニ障子ヲ拵塀ノ如立
並鉄炮ヲ稠ク打掛テ候間城中驚轉シテ落
城スト云云
一 天菴氏治公ノ嫡男彦太郎守治之息男小田
伊織善治ト申ハ落城ノ刻越前國ヘ行給テ
松平出羽守ヲ頼越前ニ住ス出羽守トハ従
弟也ト云云
一 菅谷左衛門尉ハ天正二年ニ土浦城主ト成
テ佐竹ノ手ニ属其後相州小田原ノ屋形北
條氏直公ヨリ北条氏朝ヲ代官トシテ出馬
ノ刻落城是ヲ南方亂ト云ヘリ
一 菅谷左衛門尉ハ慶長元年ニ家康公ヘ降参
シテ召出サレ常州手子生領五千石拜領ス
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ト云云
一 菅谷ハ紀貫之ノ後胤タリト云ヘトモ如何成
事ニテカ有ケン元來諸國ヲ廻ル聖也有時
信田殿菅谷原ヘ鷹野ニ出ラレケル所ニ野
中ニテ硯ノ入ル事有然ルニ硯ヲ不爲持ケ
レハ如何セント思所ニ聖一人笛ヲカタゲ
通シヲ若聖ノ硯ヲ持合候義モ哉ト思硯ヤ
有ト問給聖答云硯候迚笛トリ出シ進セケ
レハ硯水ナシ信田殿如何ト申サセ玉ヘハ
彼聖左右ト走リ廻リ桔梗ノ花ヲ摘集手ニ
テ挼汁ヲ潤硯水ニ出シケル信田殿御覧シ
テ悦玉フ事限ナシ信田殿申サセ給ハ聖ハ
勝タル器用人也還俗シ我ニ仕ヘヨト云聖
真意ニ任信田ノ城ヘ諸共ニ参還俗シテ其
名ヲ改テ菅谷喜八ト召シケル菅谷原ニテ
見参致サレケル故ニ名字ヲ菅谷ト名付テ
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桔梗ノキヲカタトリ折節モ八月ナレハ八
月ノ八ヲカタトリ喜八ト仰レケル依之菅
谷ノ紋ハ桔梗也然ルニ末ニ成信田ノ家ヲ
續シ故其後ハ龜甲ノ内ニ桔梗ヲ付ルト云〻
一 蝦鹿嶋ノ城主蝦鹿嶋新左衛門尉ハ元來完
戸城主四郎弟也後秋田城介ト取合没落シ
テ立退ト云云
一 完戸四郎没落以後完戸ニハ秋田城介居住
スル其後秋田城介ト総州結城三河守晴朝
公常州中郡礒部ニ於テ一戰ヲ遂ケ其刻礒
部大明神ノ社頭并ニ社領御朱印迠兵火ニ
及燒失スト云云
一 多賀谷修理太夫重經ハ金子十郎家忠ノ後
胤也多賀谷太郎ヨリ五代目也多賀谷太郎
ハ結城ノ手ニ属シタルカ浪人シテ比氣ト
云所ニ居住ス其比堀戸道光ト云有徳ノ者
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ヲ討彼カ財産ヲ奪取下妻ノ城拵近郷ヲ押
領シテ威ヲ関八州ニ振修理大夫重經弥弓
箭盛ニ成テ近國ヲ攻取重經代ニ一万八千
貫ノ所ヲ領スト也家忠ノ二男多賀谷次郎
家政ノ末孫ト云云
一 多賀谷大治郎ト申ハ左近大夫政經事也天
正五年ニ豊田城主ニ成テ文禄四未迠十九
年住ス然ルニ重經ハ佐竹ト縁辺タルニ依
テ佐竹ニ與シ政經ハ結城ニ與シタル故重
經ト政經ト不和ニ成節々取合ニ及フ依之
政經結城ヘ徃行下妻ヲ取挟不自由タル間
文禄四年ニ大田ヘ新城ヲ構ヘ居住スト云〻
一 多賀谷代々禪宗ナリ豊田ヘ移住スル時モ
禪宗ニテ豊田代々菩提所龍心寺ニ皈依ス
此龍心寺ハ臨濟宗ニテ別山ナリシカ豊田
滅亡以後下妻多寳院末寺ト成ル政經太田
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ヘ引越時龍心寺ヲモ太田ヘ移シ今ノ太田
龍昌院是也龍昌院ハ龍心寺末寺也
一 小田天菴氏治公旗下ノ城々北条城主北条
出雲守片野城主片野三樂入道筑波城主筑
波八郎柿丘城主梶原美濃守真壁城主真壁
道夢完戸城主完戸四郎安藝守行方城主行
方刑部少輔海上城主海上主馬五郎土浦城
主信田和泉守藤澤城主菅谷左衛門戸崎城
主戸崎大膳矢田部城主平出伊賀守江戸﨑
城主江戸﨑堅物蝦鹿嶋城主蝦鹿嶋新左衛
門足高城主由良信濃守牛久城主丘身中務
少輔手子生城主横山彈正志筑城主志筑左
近山木城主山木七郎水守城主水守六郎民
部小美川城主小美川越中守龍ヶ崎城主土
岐伊豫守上室城主吉原越前守近田城主沼
尻又五郎田伏城主田伏次郎太夫沼崎城主
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沼崎播磨苅間城主野中瀬入道岩崎城主岩
崎勘解由岩田城主岩田彦六掛馬城主掛馬
治部城數三十館此内北条柿丘真壁片野土
浦藤澤水守足高宇宿行方海上完戸右十二
ヶ城其他十八ヶ掻上也
一 豊田治親滅亡以後鯨村ノ掻上ニ白井善通
居住也
一 袋畑彈正忠四息袋畑右京亮ハ多賀谷ニ属
シ多賀谷滅亡ノ時袋畑ハ奥州ヘ行ト云〻
右京亮子息木村越前常州ニ居住スルト也
一 安西右京亮幸盛ハ永禄九年ニ織田信長公
ノ爲ニ尾州中嶋ヲ立退常州ヘ来住ス其子
宇名野玄蕃允其子中嶋豊前守父子多賀谷
左近大夫政經ニ属シ後見トシテ豊田糟内
ノ掻上ニ居住ス慶長六年多賀谷ノ一家滅
却ノ時中嶋豊前ハ左近太夫政經ニ隨越前
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ヘ行中嶋將監ト名乘此將監弟中嶋豊前ト
号シ糟内ニ住ス
一 安西右京亮ハ元亀元年真壁ト下妻取合ノ
時常州高道祖ニテ討死ナリ
一 慶長五年石田治部少輔藤原三成逆心ノ時
佐竹修理大夫侍從義宣會津中納言景勝多
賀谷修理大夫重經逆心石田三成濃州関ヶ
原ニ於テ打負滅亡ス依之佐竹侍從義宣ハ
羽州秋田ヘ城替ニテ佐竹太田ヲ召上ラル
景勝ハ城知召上ラレ米澤十五万石賜多賀
谷修理太夫ハ城知召上ラレ榊原侍從御目
代トシテ田下ヘ御座被成多賀谷ヲ呼出御
追放ト云〻下妻豊田大田ハ慶長六年ニ没
落ス
一 會津景勝ト結城宰相政宗慶長五年ニ取合
前度景勝負軍ノ由佐竹ヘ聞ヘ義宣ヨリ久
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留間丹波守ヲ大將トシテ三千餘騎相添加
勢ニ遣ス然ニ佐竹義宣秋田ヘ城替ニテ羽
州ヘ参ル道ニテ丹波守ニ行逢丹波守申樣
ハ新羅三郎公ヨリ代々持來ル太田ヲ立退
ト云事有ヘキカ太田ヲ枕トシ討死シ名ヲ
後代ニ殘スヘキ迚丹波守ハ佐竹ノ城ヘ来
籠城ス依之家康公ヨリ討手ヲ遣シ度々ノ
合戰終丹波守打負生捕レ水戸中川ニ於テ
逆磔ニ懸リ畢
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土浦城主ノ覺
菅谷紀伊守 拾貮万五千石
同 摂津守 拾貮万五千石
同 左衛門尉 拾貮万五千石
結城晴朝 七拾五万石
西尾丹後守 貮万石
同 丹後守 貮万石
朽木民部小輔
同 伊豫守
土屋丹波守
松平因幡守 貮万貮千石
土屋相模守 九万五千石
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小田系圖
八田知家 知重
泰智 時知
宗知 貞知
治久源朝臣
孝朝 治朝
持家 朝久
成治 治孝
政治 氏治
一 小田城ハ筑波郡ニ属シ本城凢二町四方惣
構十七八町四方ニテ小田繁昌ノ時分軍地
齋地信田田伏トテ小田四天ト唱シカ由是
軍地曲輪齋地曲輪信田曲輪田伏曲輪トテ
其名今ニ殘レリ城下ノ町家四千軒アリシ
カ今ハ皆田畑トナル今ノ小田町ハ昔ノ曲
輪ノ内ナリト云傳フ抑此城ハ小田ノ元祖
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八田知家公始テ築玉ヒ天菴氏治公マテ十
五代ノ居城也天正二年天菴公没落ノ後佐
竹義信梶原美濃守景國ヲ此城ニ置景國又
竊ニ佐竹ニ叛ク佐竹大田十郎氏房ヲシテ之
ヲ攻潰ス[事詳ニ/前ニ見]景國カ罪ヲ宥メ奥州植田城
ニ移シ其弟太田五郎左衛門ヲ下野國武茂
城ニ居シム是ヨリ小田癈城トナル
一 土浦城ハ新治郡ニ屬ス古昔平親王將門始
テ築後小田ノ附庸トナリ中世菅谷尾張守
ヲ居シメ天正ノ頃信田和泉守是ヲ守ル時
々小田ノ御屋形此城ヘ御動座ノヿモ有シ
天正中天菴公落城ノ後菅谷左衛門尉佐竹
ニ降参シ當城ニ居リシヲ北条氏政ヨリ攻
落ス天下混一ノ後松平伊豆守信一ニ賜フ
一 北條城ハ筑波郡ニ属ス知家公ノ七男北条
七郎時家始テ築其子孫代々當城ニ住ス永
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禄中太田三樂カ爲ニ滅フ或記ニ曰知家ノ
七男七郎家久北條十二郷ヲ領ス家久五代
武田太郎家元法名無量院ト號ス菩提所時
宗光明寺今ノ無量院也小田御所二男北条
ト小田ノ堺ニ大澤ト云所ニ居テ大澤安房
守ト云後中舘ト云所ニ小城ヲ構ヘ北条十
二郷ヲ領ス菩提所ハ法安寺祈願所ハ熊野
堂ト云山伏也大澤殿信者故後ニ全宗寺ト
號ヲ改清僧ヲ居シム天菴公手匍匐山一戦
ノ時中舘北條兩城共ニ落城ス出雲守治高
ハ大澤安房守カ子孫ナランカ
一 栗山城筑波郡ニ在小田ノ家臣岡見中務始
テ築下妻ノ多賀谷ヨリ攻落シ中務戰死ス
一 牛久城河内郡ニ在小田ノ長臣岡見彈正始
テ築天正中彈正小田ノ先鋒トナリ三樂ト
手匍匐坂ニ戰彈正討死ス其跡岡見中務少
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輔是ニ居リ天菴公ト與ニ滅其後由良信濃
守城主タリ
一 龍碕城河内郡ニ属ス頼朝公ノ時下河邊政
義始テ當城ニ居子孫龍崎氏代々斯ニ住ス
應永中龍崎尾張守同伊賀守鎌倉持氏公ニ
属シ流浪シテ其城地土岐左兵衛是ヲ保ツ土
岐氏世小田ノ麾下タリ天正中土岐伊豫守
當城ニ住シテ天菴公ニ属ス小田没落ノ後佐
竹盛重[義宣/舎弟]之ヲ守ル後盛重江戸﨑ニ移リ
家臣ヲ當城ニ置
一 完倉城河内郡ニ在菅谷隠岐守始テ築子孫
是ニ住ス天正中佐竹氏ニ亡サレ菅谷越前
ニ奔ル佐竹大山田刑部ヲシテ當城ヲ守シム
一 完戸城茨城郡ニ在知家公ノ四男完戸四郎
家政始テ築子孫代々當城ニ居ル天正中佐
竹ヨリ之ヲ滅ス後秋田河内守城主タリ
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一 小幡城茨城郡ニ在八田知重ノ三男三郎光
重居城也其後苗小幡中務夜大洗礒神ヲ参
拜スルトテ中途ニ江戸但馬守ニ討レ小幡
氏遂ニ亡フ但馬家臣出雲ヲシテ守ラシム其
故助兵衛天正中佐竹ニ滅サル
一 友部城多珂郡ニ在完戸家政五代ノ孫山直
五郎左衛門家時始テ築子孫代々之ニ居ル
後數世ニシテ佐竹義昭ノ弟次郎義昌山直氏
ヲ継天正十三年死シテ後ナシ佐竹其地ヲ并
取ル
一 武州石築城主太田三樂齋道譽ハ上杉ノ舊
臣ナリシカ近年北條氏康上杉ヲ滅シテヨリ
常ニ安房ノ里見ニ一味シテ北條ニ從ス永禄
六癸亥年正月三樂里見ニ力ヲ合總州國府
䑓ノ戰ニ討負遂ニ北條ノ爲ニ石築ヲ攻取
ラレ聟ノ成田左馬介氏長ニ倚頼シ武州忍
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ノ城下ニ蟄居シテ在シヲ輝虎関東越山シテ
歸馬ノ折柄本國ヘ誘因シ越府ニ永ク在住
ノ事ヲ告サレトモ庶長子梶原源太左衛門資
晴[後美濃守景國ト改]佐竹ノ招ニ應シ常州ニ留リ居
ル故其身モ亦懐土ノ志ニ堪ス越府ヲ避テ
常州ニ赴シカ其頃宇都宮殿取成ヲ以小田
天菴公ヘ一万石ノ所領ヲ給テ召仕レ三樂
ニ片野ノ砦ヲ與ヘ源太左衛門ニハ梯岡ノ
砦ヲ守シメ佐竹ノ押ヲ命シ置レ父子一所
ニ天菴公ノ御恩深カリシカ佐竹重義素ヨ
ヨリ資晴ニ懇志ナレハ潜ニ小田ノ幕下真
壁右衞門氏幹カ女ヲ媒シテ資晴ニ娶セ甥
舅一味シテ逆心ヲ企サセ小田天菴ヲ滅セ
ント謀ヲ廻シケル三樂父子遂ニ真壁ト内
談シ叛逆ノ聞ヘアレハ天菴公安カラス思
召佐竹ノ援兵ナキ内ニ急キ逆徒ヲ打潰ン
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ト片野城ヘ押寄ラル三樂手勢ヲ率テ手匍
匐坂ニ屯シ小田勢ヲ迎撃小田ノ先鋒岡見
彈正無二無三ニ敵間ニ乘込味方ヲ勇シテ血
戰シ遂ニ討死ス敵多勢ニテ小田勢大ニ敗
走シ天菴公ハ先藤澤城ヘ入玉ヒ三樂遂ニ
小田城ヲ乘取ルサレトモ藤澤ヨリ天菴公不
意ニ押寄遂ニ小田城ヲ取歸シ元ノ如ク在
城ナリ是ヲ軍ノ始トシテ永禄元龜天正ノ間
三樂片野城ヲ保チ佐竹ノ助勢ヲ請小田ヲ
攻潰ント白子谷手匍匐山小張樋口ノ所々
烈キ取合度々有シカ時ナル哉天正二年小
田遂ニ逆臣三樂等カ爲ニ没落ナリ
一 小田天菴公ノ曽領ハ喜太郎友治ト號ス[後八
田左近ト改]彦太郎守治ハ愛子故家嫡ト成玉フ
天菴公初部屋住ニテ小太郎君トテ小田城
ニ御座アリシニ其項小田原ノ芳賀一統ニ
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芳賀喜兵衛貞利ト云浪人ヲ古河晴氏公ノ
御頼ニ因テ小田ノ屋形政治公ヘ召抱ラレ
其女ヲ召仕レ其腹ニ出生シテ間モナク天
菴家督シ玉ヒ友治ヲ弥家嫡トセラレ貞利
ト固キ約束アリシカ其後彦太郎守治出生
シ玉ヒ寵愛ニテ此ヲ家嫡ニ極ラレ友治ハ
元祖知家公外祖八田權守宗綱ノ養子ト成
子孫繁昌ノ吉例ナレハトテ外祖貞利カ子
ニソ給リケル貞利是ヲ心外ニ思其傅菅谷
伊織正勝伊江新右衛門盛之等ト云合セ友
治ヲ守リタテ古河晴氏公ヘ掛込御嘆申シ
ケレハ晴氏公不便ニ思召北條氏康ト御相
談ニテ紛レナキ嫡子ト云ヒ貞利ニ固キ約
束ト云旁変替如何ノ由天菴ヘ樣々異見ア
リシニ其義兎角相調ハズ由是晴氏公ヨリ
御頼ニテ小田原ニ指置レ氏康モ殊ニ懇情
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ヲ施シ芳賀伯耆守正綱女ヲ媒シテ友治ニ娶
セ総州久留利城ニ置レケル天正二年天菴
公御没落梶原美濃守景國小田ニ在城スト
聞シカハ友治齒咬ヲナシ公方義氏公ヲ頼
北條ノ兵權ヲ借リ梶原ヲ討ンヿヲ謀ル義
氏公モ其義心ヲ感シ此上ハ小田城ヲ取返
シ友治ヲ常州ヘ仕居ヘ小田ノ家ヲ取立ン
ト北條氏政ヘ叚々御頼アレハ氏政モ芳賀
正綱カ縁族ト云ヒ其義心ノ切ナル旁黙止
カタキトテ殊ニ友治ヲ憐レ何トソ軍ヲ常
州ヘ發シ梶原ヲ攻殺シ直ニ佐竹ヲ討潰ン
ト樣々軍談アリシカ近隣ノ大敵ニ揉レ武
威日ニ衰ヘシカハ其志ノミニテ年月移リ
義氏公モ薨セラレ遂ニ小田原モ落城ス友
治ハ上方ニ赴從昆弟ナレハ速水甲斐守ヲ
頼城州伏見ニ蟄居ナリシニ其頃秀吉公ノ
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近臣今田覺大夫ハ常州今田ト云所ヨリ出
テ小田ノ舊臣ナレハ小田家相續ノ義ヲ叚
々願シカトモ急ニ御沙汰モ無リシ所ニ友治
ハ騎射ノ達人殊ニ速水カ從昆弟ナレハ兼
テ御聞及ニテ早々秀吉公ヘ被召出射術ノ
師範トシテ秀次公ヘ昵近ニテ勢州八田村近
隣三千百石ノ所ヲ領知仰付ラレ御靜謐ノ
上ニテ常州舊領ノ内相應ニ充行ルヘキ沙
汰ノ處ニ程ナク秀次公御生害ニテ不首尾
ニナリ菅谷左衛門尉ヲ召レ小田領之内ヲ
給リ友治ハ和州ニ蟄居ナリシカ其後堀尾
茂助吉晴ノ取成ニテ家康公ヘ召出サレ結
城秀康卿ヘ御付ナサレシト云云
一 小田天菴公土浦没落ノ時御生害ノ趣其當
時ノ風説ナリシカ實ハ野中瀬入道鈍齋カ
諌ニヨリ父子潜ニ退散ニテ小田原北條家
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ヲ頼再家運ヲ開ントシ玉ヒシカ北條家衰
運ニテ助勢力ニ及ス彼此ニ蟄居ナリシニ
後菅谷左衛門尉ヲ以舊臣ナレハ秀吉公ノ
近臣今田覺大夫ヲ頼守治ノ出仕ヲ願ハル
サレトモ御沙汰延引ナレハ菅谷ヲ指置父子
友越前ニ蟄居ニテ遂ニ逝去シ玉フ守治ノ
嫡伊織善治ハ松平出羽守ヨリ二千石ヲ扶
助セラルト云〻
一 伊江新右衛門盛之ハ平氏家紋九曜ニテ常
州ノ産ナリ父ヲ伊江新右衛門盛定トテ本
國生國共ニ濃州ニテ小田ノ屋形ヘ始テ召
仕レシカ永禄五年小田天菴公佐竹義重ト
一戦ノ時粉骨ヲ盡シ遂ニ討死ス故是盛之
モ天菴公ノ寵臣ナリシ後天正三年幸ノ縁
アツテ家康公ヘ召出レシト云〻
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右小田系圖以下十五箇條者以筑波山
西谷道場覺阿上人之御覺書雜記于巻
末畢
常陸國筑波郡大嶋村住大藤氏某書
東源軍鑑大尾
右東源軍鑑一書世傅常陸國新治郡高岡村
大雄山法雲禪寺沙門獅子菴獅林之所輯録
也今斯眞書寫本全六巻出于本州信太郡古
渡村農士山口彌左衛門某之家藏山口其先
小田家臣山口豊後之後也間嘗尋舊好問予
消息且齎來以斯書予先獲此書于下總國岡
田郡別府村農士荒川八右衛門某之家使ニ
男綱利[今改/明綱]冩之藏之于家然此冩本更合考
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天菴記以類聚其評語于上幀然其後録亦追
記數件條款或異文辭不一故又使長子明治
謄冩之以備参考但斯書所記謬妄傅會遺漏
尤多欲他日據家譜而刪補之讀者以意斟酌
之可也 旹
享保十九年甲寅秋七月
天菴玄孫源朝榮謹跋